『一橋ビジネスレビュー』の今(+研究会趣旨説明・質疑応答)

オンライン研究会「大学が学術出版をする意義と方向性(1)」2023/02/03 研究・イノベーション学会 大学経営研究懇談会 https://kiyo.cseas.kyoto-u.ac.jp/2023/03/seminar2023-02-03/ 〈研究会趣旨説明〉 原田隆(東京工業大学 主任リサーチ・アドミニストレーター) 研究・イノベーション学会、大学経営研究懇談会の幹事をしています原田と申します。本オンライン研究会は紀要編集者ネットワークと共催で開催いたします。 研究イノベーション学会の中において、われわれ懇談会は大学経営の観点から大学評価、研究評価や研究インテグリティなどについて継続的な研究報告をしています。今年度については、大学が出版をする意義について定期的に扱っていきたいと思っています。例えば、国際ジャーナルへの投稿などが推奨され、それが評価されるなか、日本語論文の投稿の問題があります。また、いろいろな媒体で動画などを含めいろいろな形で研究成果が発信されていくなか、紀要が代表的ですが、あえて大学が出版機能を持つ社会的意義はなんでしょうか。もし本質的に大学が研究出版機能を持つべきであるならば、どのようにしてそれを大学経営の中に位置づけるか、もしくはそのために何を犠牲にするかというようなことを考えていきたいと思っています。 これまで紀要、日本の学術誌について継続して研究会を開催していますが、今回は『一橋ビジネスレビュー』を題材にして、この点を考えていきたいと思っています。講師は一橋大学の吉岡先生にお願いしました。『一橋ビジネスレビュー』については、講演で詳細が述べられますけども、一橋大学の出版物ですが商業誌として発行されている紀要です。ただ、これが紀要の定義として適切かどうかということも議論だと思っています。 〈講演〉 吉岡(小林)徹(一橋大学 イノベーション研究センター) 一橋大学イノベーション研究センターの吉岡と申します。よろしくお願いいたします。今日は、『一橋ビジネスレビュー』が今どうなっているか、大学として出版機能の一部分を担って本を出していくなかでどういうところが悩みかをお話したいと思います。まず『一橋ビジネスレビュー』にどういう経緯があったか、そして今どうなっているか、理想としてはこうありたい姿、最後に悩みという形でお話を進めていきます。 その前に、私の立ち位置のご紹介ですが、元々は法律の研究をやっており、民間を経て、大学の教員をしています。専門分野は科学技術政策や技術マネジメントで、研究成果を主に海外の学術誌で出していきたいという意欲を持っていますが、必ずしもうまくいかないという感じですね。 『一橋ビジネスレビュー』の昔 早速ですが、『一橋ビジネスレビュー』の昔について話します。まず、『一橋ビジネスレビュー』が紐づいている、私の所属機関である一橋大学のイノベーション研究センターについて簡単にご紹介します。発足は戦争中の1944年でした。その後、1949年に産業経営研究所、つまり産業の経営に関わることを研究していく機関となり、その4年後の1953年に『ビジネスレビュー』を一般向けに経営学の内容を伝えていく雑誌として創刊しました。ですから、歴史はとても長く、今年70年になろうとしています。ただ、東洋経済新報社から季節ごとに刊行する季刊の本として出したのが2000年で、このときに『一橋ビジネスレビュー』と名前を変えました。 一般の紀要と異なり、出版元は東洋経済新報社です。東洋経済新報社がちゃんとお金を取って、書店を通じて売っています。 理念は、理論と実務を繋ぐ架け橋として経営学に寄与することです。ここからおわかりの通り、ターゲットは産業界の方、実務家の方で、顧客価値は経営学の理念を実務に活かしてもらう、実務のヒントを得てもらうところにあります。後ほど詳細をお話しします。 『一橋ビジネスレビュー』の今——雑誌の概要—— 今はどうなっているかといいますと、4か月に1回発行して、1号2200円です。内容は、特集記事としてテーマ——最新号(2022年度Vol.70 No.3)だと「デザインとは何か?」というテーマ——に沿った記事を5から7本、連載——主に経営学の解説——を1、2本、インタビュー記事を1本、そしてケーススタディ、この企業がこんな取り組みをしているとか、こういうところが面白いというのを1、2本。厳密な意味の研究論文が特集記事に含まれることがあるんですけれども、それを除くとまれに1本載る程度です。 ですので、一般的な学術紀要ではなく、どちらかというとビジネス誌になります。ただ、ビジネス誌としても東洋経済新報社が発行している『東洋経済』や『週刊ダイヤモンド』などに比べると、学術的なバックグラウンドが重視されているという立ち位置にあります。完璧なビジネス誌と学術誌のちょうど中間点ぐらいのものを目指しているのが、この『一橋ビジネスレビュー』です。『ハーバード・ビジネス・レビュー』が一つのお手本といえると捉えています。 『一橋ビジネスレビュー』の今——記事の例—— 記事はこんな感じです。抽象的に話してもわかりにくいと思いますので、最新の号の「デザインとは何か?」の中身を書きました。特集記事のテーマは、過去の例では2021年に「研究力の危機を乗り越える」を取り上げるなど、その時々に応じた話題を選択しています。最新号の特集記事を書いてもらった永井一史さんはグッドデザイン賞の審査委員長で実務家、森永先生、木見田先生、古江先生は研究者、山中先生はちょうどその中間、実務と学術を両方やっている方です。連載では、エフェクチュエーションって何なんだろうか、イノベーション・マネジメントは何が基本なんだろうかといった話を取り上げています。それから、衛星宇宙開発ビジネスについてインタビューしたり、旭酒造さんやログハウスメーカーのビジネスケースを書いたりしています。 こういった内容で、ビジネス向けの雑誌なんですけれども、学術的なバックグラウンドを保っているところが、『一橋ビジネスレビュー』の特徴だと思います。 『一橋ビジネスレビュー』の今——企画・編集体制—— 編集・企画は、基本的には研究者でやっています。一橋大学イノベーション研究センターのセンター長だった米倉誠一郎先生を編集長として、その他センター所属の教員9名が関わっていますし、さらに経営管理研究科のイノベーション系の研究者も数名関わっています。15名ぐらいで企画している体制です。 東洋経済新報社の担当編集者も入っています。プロの編集者の介入はクオリティコントロールにすごく大事なところです。その方が、この企画はつまらないですねとか、個別の記事にもこんな書き方だと駄目ですよと厳しく言ってくれる体制です。 ただ、ロジ回りまで東洋経済新報社に完全に任せるのは無理なので、私どものセンターの助手に執筆者の対応や原稿関係の細かいところを担当してもらい、編集、そして校正の段階を東洋経済新報社の方にやっていただいています。 『一橋ビジネスレビュー』の今——経営学内の傾向と一橋ビジネスレビューの位置づけ—— 内部的な話をすると、各研究者の研究の立ち位置は、経営学では大きく三つの切り口で特徴づけられるんですね。1番目の軸は、理論を重視するのか、実証を重視するのか、それとも現状を記述することを重視するのか。2番目の軸は、定性的なアプローチ、つまりインタビューや一次資料をベースに考えていくのか、それとも操作化をして、数字に変えて定量的に分析をしていくのか。3番目の軸が、実務で貢献するのか、学術で貢献するのか。この掛け算でだいたい各研究者の立ち位置が決まっています。 『一橋ビジネスレビュー』はビジネスレビューですので、当然好まれるのは最終的な実務への貢献なんですね。実務で貢献すればいいので、場合によっては、記述さえしておけばいい、面白い現象を切り取っておけばいいんですけど、悩ましいところは各メンバーとしては学術にも貢献したいという思いが強いんですね。そうなると、理論か実証をやりたくなる。ただ、実証をやると個々の論文としては実務への貢献が小さくなるというジレンマがあって、企画メンバー全員が『一橋ビジネスレビュー』に対して必ずしも強いコミットメントをしやすいわけではありません。 理想像——ターゲット層と顧客価値—— 次は、お客様への価値、社会的な価値をお話すると、ターゲット層は基本的には経営者の方、それからミドル以上のマネージャー層の方、いわゆる部長職以上の方、あるいは将来部長それから役員になっていくような方々が潜在的な顧客層だと捉えています。 ただ、国勢調査のデータから考えると、日本の中でターゲット層となり得る最大の数がだいたい500万人ぐらいなんです。その中で学術的なものに関心があって、かつ学び続けたいという意欲を持っていて、しかも本当に学ぼうとする行動を取っている方となると、たぶん多くて100万人、実質は50万人、肌感覚ではもっと少ないかもしれないと思っています。 顧客価値として目指すのは、経営の知的レベルを向上させることです。ただし、知的能力のうち短期的な情報やノウハウではなく、普遍性が高いところをお伝えしようというのが僕らが一番目指すところです。季刊にしている説明は、読者に3か月をかけてじっくりと読みこなしてほしいということです。 学術コミュニティにおける位置づけとしては、アウトリーチの活動になると思っています。学術コミュニティへの貢献にはあんまりウエイトを置いていないんですね。ただ、社会に伝えることで学術コミュニティに返ってくるものがあると思っていますので、それは後ほどお話したいと思います。 企業は人を育てないし、半数の従業員は自発的に学ばない 大きな悩みの予告になるんですけど、実質的な顧客層が少なくなってきています。経産省があおるために作った資料と言ってもいいのかなと思いますが、「未来人材ビジョン」で、日本の企業はあまり人を育てていないし、従業員もあまり自分で学んでいないことが問題として指摘されています。私自身も民間にいたので、肌感覚としてそうだよねと。どこの会社でもというわけではなく、組織による差が大きいなと思っています。いずれにせよ、学ぼうという意欲を持っている方は、たぶんビジネスパーソンの中で10%、20%だろうな、そういう意味で顧客層は少ないんだろうなと捉えています。 理想像——書き手としての大学研究者への価値—— 先ほど少しお話した学術コミュニティへの価値ですけれども、一つ大きい話をさせてください。私どもは社会科学をやっているわけで、社会を分析してそこから何か知見を得てということなんですが、社会科学の研究活動にはループがあるんじゃないかなと捉えています。 まず社会をどうやって眺めるんだろうか、人間の普遍の行動って何だろうかと理論を考える人たちがいて、その人たちが土なんですね。その土の上に、その理論が正しいのかを補強する実証の研究者が種を蒔いていって、その種が育っていく、芽が育っていくわけですね。芽が育っていくと、1個1個できあがっていた理論が体系化されて、それによって体系的な知識が編み上がる。その体系的な知識を社会に伝える人がいて、社会に伝えたことで、社会から体系的知識があったからこんなことがわかった、でもまだわからないところがあるよと反応がくることで、新しい理論研究や実証研究の種が生まれてくる。そういう循環があるんじゃないかなと思っています。 自分たちの研究成果を社会にいったん問うて、そうすると社会から反応が返ってくるわけです。あるいは私たちのフィールド使ってくださいって返ってくるわけですね。そういうのに繋がっていけばいいなと思っています。『一橋ビジネスレビュー』は、まさに社会に伝える役目によって、社会からこういう研究してみたらどうですかとか、こういうところが悩みなんですってフィードバックをもらう機会だと捉えています。これがある種の学術コミュニティへの価値なんじゃないかなと思っています。 もう一つ、細かいとこですけども、将来の実務家あるいは将来の研究者を育てるための素材として、教材として使ってほしい。このあたりが書き手の立場としての価値です。 単にアウトリーチということじゃなくて、教育の材料にもなるし、それによって関心を持ってもらって、企業さんからこんなデータを使っていいですよとか、うちの企業対象にやって分析していただいていいですよって言ってもらえるといいなと考えてやっています。 ターゲット層からの反応 ターゲット層からどれぐらい反応があるかですが、われわれの強力なコンペティターである『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』が2万部あるところ、私どもはさすがにそこまでではありません。私の調べ方が悪かったのかもしれませんが、苦しいのは図書館がほぼ買ってくれていないんですね[注:再調査の結果、200程度の大学図書館が購読継続中と判明(https://ci.nii.ac.jp/ncid/AA11479006#anc-library)]。一橋ビジネスレビューは書籍としての位置づけであり、雑誌ではないので、公立図書館にとっては定期購読の対象として買いにくいのかもしれません。 こたえるのは、Twitterでの反応ですね。見ると、毎号ほぼ数件程度なんですね。『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』は、少なくとも毎号2,30件あるんですよ。苦しいなというのが正直なとこです。 悩み①——理念に沿った記事を書ける人が限られている—— 次に悩みは、今の話と重なるところと重ならないところがあります。まず重ならないところでは、誰が書けるのかという問題があります。 われわれの理念としては、普遍性の高いもの、3か月で読み解いてもらうような骨太の経営の本質を捉えた、あるいは経営者にとってそれを知っておくことがすごく有益な情報を提供することを目指したいわけです。逆に言うと、短期的な話は『週刊ダイヤモンド』や『東洋経済』に任せるということを明確にしています。そういった理念に沿ったものを1記事だいたい1万5千字書かなくちゃいけない。 書くって大変なんですよ。研究者でも論文を書ける人は限られています。社会科学では、査読付きにせよ査読付きに近いクオリティの論文にせよ年間1本書いている方は全体の10%ぐらいかなという気がします。ごくわずかな人が多数の論文や書籍を出しているのが実態です。ただ、社会科学では日本に限らず、世界的にもロトカの法則なんて言われたりするんですよね。ざっくり言うと、2割の人が8割の成果を出すといった話です。 さらに、研究者としてやり込んでいる方が実務家にわかりやすく書けるかというと難しいんですね。ただ、私どもの経営学分野にはビジネススクールがありますので、そちらの教員の方だとすごく上手いんですが、純粋に研究だけされている方ですとつらいところもあります。 実務家の方だと書けるのかというと、これもまたかなり厳しいです。行政官の方は、いろんなファクトをご存知で面白いんですけれど、ポンチ絵の文化があって一貫性のある長い文章を必ずしも書く機会が多いわけではないので、1個1個の3000字ぐらいの塊としてはすごく面白いんですが、1万5千字書いたときに5つのバラバラな話がある形になることがあります。実務家の方も同じで、1ページに要約して箇条書きで書くことに慣れていらっしゃるので、キーワードは面白いんですけども、ロジックの繋がりがないのが目立ってしまうことがあります。 実務家の方にお願いするときは、それなりに編集者の手が入らないと厳しいというのが実態ですし、企画時にこういう内容でどうですかと綿密な打ち合わせをして詰めていくことが多いです。もちろん例外もあって、実務の方でもすごく面白い文章を書ける方もいらっしゃいます。とくに行政官の方がそうです。そういう方をいかにうまく繋がりの中で見つけ出すかが勝負になっています。 悩み②——大学に対する規範的要請、政策的要請—— 書き手の半分ぐらいは研究者ですので、大学の研究者の側から今の状況を見ると、当然若手にはいかに論文をたくさん書くかという意識があります。ただ、publish or perish、書かないとクビになるぞみたいな話は日本だとそこまでないんですよ。なぜかというと、経営学では博士課程の修了生に比べて教員枠の空きがあります。これはクオリティのある博士課程の修了生に比べると教員枠が大きいという意味ですよ。だから、そんなに論文を頑張って書かなくてもいいんですが、そうは言っても書いてないと駄目だよねという認識が僕らの中で共有されてきています。 もう一つ、私ども個別の事情ですけれども、一橋大学は指定国立大学法人になって、英文査読付き論文を書きましょうという要請があります。現状厳しいところもありますが、英文査読付き論文を書いて、しかも引用された数が多いと給与が増える状況です。 さらに、部局レベルでも、イノベーション研究センターが所属しているのが経営管理研究科、商学部で、そちらがビジネススクールとしての国際認証を受けるようになりましたので、国際基準として英文査読付き論文を書かなくちゃいけないんです。ただし、5年に1本でいいですし、あんまり高い質じゃなくてもいい。海外トップジャーナルに載せろという話ではないんですね。国際的なビジネススクールの認証はバランスが取れていて、ビジネススクールなんだから論文への貢献、学術コミュニティへの貢献ばっかりしていてもしょうがないと書いてあるわけですよ。この点からすれば、英文査読付き論文を書く強い要請があるわけじゃないんです。 そうは言っても、とくに若手の認識は、経営学の研究はアメリカ、ヨーロッパ全般、中国、インド、韓国、台湾で活発に研究が積み重ねられている、それにキャッチアップしたい、自分たちも発信をしないといけない、英文の査読付き論文が大事なんじゃないかといったところだろうと思います。ただ、英文査読付き論文を書くのはすごく大変なんですね。1本書き上げて、査読を頑張って通すのに、1000時間とか1500時間とか投入していることもあるかもしれません。そうなると、実務家に貢献するアウトリーチの記事を書く時間はどうしても削られるんですよ。そこが研究者の立場としては大きな悩みです。 総論としての悩み——社会科学分野での特定大学の学術誌の立ち位置の難しさ—— 最後に、大学レベル、部局レベルの経営目線の話をしてまとめにしたいと思います。社会科学分野で、大学としてあるいは部局として学術誌を持つ立ち位置の難しさがあります。 研究成果のアウトリーチなら、とくに社会科学だったら、書籍を書いた方が本当はいいわけです。そういう意味では、ビジネス誌は中途半端であるかもしれません。ただ、唯一の救いは、書籍を書くのはすごく大変ですが、書籍を書けるレベルの、しかも一般に受けるような書籍を書けるのかどうかのテストの場として、この『一橋ビジネスレビュー』が機能しています。ただ、他のインターネット記事、『東洋経済オンライン』や『プレジデントオンライン』、noteやブログに負けかねないところがあって、そこは悩みです。編集者さんが入って、しかも企画の目が入って、クオリティコントロールがされて、トレーニングの場があるところが一つの価値かなと思います。ただ非常に脆弱な価値である可能性が残されています。 研究成果発表の場だったら、当然海外の査読付き論文にした方がいいわけですし、しかも、海外査読付き論文誌は今無数に出ています。経営学のそこそこのクオリティのものだけでも、たぶん100誌とかあるわけです。だから、変なことを書いてもけっこう通るわけですよ。国内学術誌よりも通りやすい場合もあるわけです。国内学術誌の方がよっぽどまともな査読をしているケースもあります。さらにいうと、プリントサーバーもあって、それでも十分というところです。だから、研究成果発表の場としては苦しい立ち位置にあると思っています。 若手育成の場だったら、国内学術誌が、とくに社会科学ですとその役割を頑張っています。一橋大学の商学部として紀要を持っていまして、そちらは院生のためのものとして機能はしているんですが、指導教員の立場としてはそれより学会で発表して、ドクトラル・コンソーシアムに出てもらうことをより意識しています。ドクトラル・コンソーシアムという博士が論文を書くためのトレーニングの特別な場があるんですね。しかも、海外学術誌や海外学会の方がこのような活動に熱心な場合もあります。 だから、私どもの分野だったら、学内誌としてはアウトリーチで勝負するしかないというのが実態です。 総論としての悩み——限られた資源をどう配分するか?—— これもやはり経営者目線での悩みは、資源が限られていることです。教員も事務職も支援の方々もみんな時間がないなかで、どう時間を配分すれば投下した時間に対して得られるリターンが大きいのかを意識しなくちゃいけないわけです。とくに注意しなくちゃいけないのは、苦しくなってくるとみんな新しいことやろうとするんですね。実はそういう研究があります。問題が起こって困ったときに人はどういう行動をとるかというと、基本的に解決策というか新しいことを足していくんです。足していくとどうなるかというと、忙しいので質が下がって、さらに悪くなっていく悪循環に陥るんですね。アウトリーチ活動もそうですし、学術誌を出すことがそうなりがちなところがあって、そこが悩みではあります。 私からの話題提供は以上ですが、最後に参考までにご紹介します。お客様への価値は実際どれぐらい伝わっているのか、『一橋ビジネスレビュー』のデータはお見せできないので、研究イノベーション学会の学術誌『研究技術計画』のダウンロード数を公表データから頑張って集計しました。 「研究ノート」や「研究論文」は研究者による査読付き論文、ビジネスレポートを除くと、それ以外は特集論文という企画意図を持って集めた原稿です。『一橋ビジネスレビュー』よりもうちょっと学術論文寄りですが、ほぼ同じような立ち位置です。研究者、大学の実務家、企業の実務家によるものがあります。ダウンロード数が多いのは基本的に、研究者の手による論文、しかも特集記事ですね。時代を捉えたもので、かつ俯瞰的なレビュー的なものが比較的ダウンロードされやすく、読んでもらいやすい。2020年、その次の年も、前の年もそうでした。この年は実は実務家の方の原稿が上がってきませんでした。高橋先生と私が書いた論文がトップで、その他はやっぱりレビュー系ですね、あるいはEVとかパワー半導体もEVにかかるとこですけども、時代を捉えたテーマで、研究者が書いていると読んでもらえるということが『研究技術計画』ではわかっています。 どういう立ち位置がいいのかは、このあたりがヒントになるのかなと思っています。私からの話題の話題提供は以上です。 〈質疑応答〉 Q1:若手研究者によるインタビュー機会 質問者1—理念に沿った記事では、実務家にインタビューする機会を若手研究者にすることで、なんとかならないものでしょうか? 吉岡—これはおっしゃる通りで、この実務家の記事も実は私がインタビューしています。インタビューして、私が起こして、それをお渡しして手直ししていただきました。私にとってもいい勉強になりました。クオリティを保つと同時に、やる側にとってもモチベーションなりますし、例えば博士課程の学生さんで、この分野の有名な方にお話聞きたいというのがあれば、インタビューをベースにしたご本人の記事という形にして書くこともあります。 質問者1—よくわかりました。経営学で実証分析などをやって、どんどん英文ジャーナルに論文を出さなきゃいけない若手も、いずれインタビューなどに基づいたところからいろいろ知見を得てまたというサイクルを作り出していけるようになってほしいなと、自分ができなかったことを若手に託して、若いうちにそういう経験をする機会を組織的に作れれば非常にいいことではないかなと思った次第です。 吉岡—ありがとうございます。経営学の今の必要事項を的確に捉えていらっしゃって、経営学の研究では、データをぶん回してこんな結果が出ましただけだと足りなくなってきているのが実態だと思うんですね。経営の中で本当にその問題を正しく捉えているのか、場合によっては定量分析と綿密な定性的調査を組み合わせた論文でないと評価されにくいこともありますので、若手にとって企業の中に入り込んでいくための機会として、これをうまく使うのはすごく大事だと思います。 Q2:オープンアクセス 質問者2—大学紀要の傾向として、リポジトリ搭載などバックナンバーのオープンアクセス化の動きがありますが、商業誌でもある貴誌でその種の知的アーカイブ化については検討されていますか。 吉岡—オープンアクセスはさすがに商業誌では難しいんですよね。東洋経済さんに入っていただいているので、買ってくださいとしか言えないのが実態です。ただ、裏をお話しすると、研究論文に関しては、東洋経済社さんから執筆原稿料をいただけるんですね。その原稿料をオープンアクセス料に充てることができるので、研究論文のオープンアクセスに間接的には繋がると思います。痛いところを突かれたなと思います。 原田—誰向けか、雑誌の傾向の問題だと思います。学術誌では、例えば年会費を払っている学会員以外でもすぐ見られるケースがあります。学会員のモチベーションに投稿したい、そしてそれを読んでもらいたいというのがある、つまりコストを負担する人に読んでもらいたいという思いがあるんでいいんですけど、商業誌、学術的な価値プラスアルファがある雑誌において、そういうモチベーションが機能しづらいのかなと思っています。 私自身の個人的な感想は、安すぎないかというのが一つ。一橋大学の先生方の知見に触れるのでも、理系だったら例えば材料を提供して良かったら共同研究の形で発表するけれど、『一橋ビジネスレビュー』を読んだ人が30万払うからケーススタディ買いますといった行動に移るかという問題を考えています。そのあたりは人文社会系の研究成果の繋がり方として難しいなとちょっと思います。 天野—オープンアクセス化について補足のコメントです。ハーバード大学は世界的にもオープンアクセスを主導してきた大学なんですけれども、ハーバードの中でもやっぱり『ハーバードビジネスレビュー』だけは別物の扱いだとオープンアクセスの担当者が言っていました。例えば京大でも、『法学論叢』は商業的なデータベースに載っていますので、そういうやり方もありなのかなと思っています。 吉岡—そうですね、『ハーバードビジネスレビュー』は相当バリューがあってかなりグローバルに売れているんですよね。『法学論叢』も、私はバックグランド法学なのでよくわかりますが、実務家は必ず買いますので。確かにあれは経済圏が成り立っていますから、わかります。 天野—オープンアクセスは進めないといけないけれど、別の方向に行くジャーナルがあってもいいかなと。 原田—学術発信やアウトリーチをやることには誰も反対しないんですけど、そのためのコスト、他の活動との兼ね合いだと思うんですね。誰がそれを負担するか、それを残すために何を犠牲にするかかなという気がしていますけど、それを何とか解決したいです。 私は『一橋ビジネスレビュー』読む方だと思っています。例えば『組織科学』は、私は読めないんですね、内容的に。研究者以外はたぶん読めないと思うんですね。日本の学会誌としては相当ハードル高い。そんな中で『一橋ビジネスレビュー』は読んでためになっていると思うし、『一橋ビジネスレビュー』を読んでいる自分に救われるところがあるんです。個人的には存続して欲しいんですけど、アウトリーチ活動が教員の人たちにどう評価されているのかなと思っています。アウトリーチ活動は研究活動とは違うけれど、社会に対して発信するが大学の本質的使命ならば、何らかの形で業績としてカウントしないとおかしいと思っています。 吉岡—業績評価で言うと、現状は一応評価されています。ただ、指定国立になってからは、やっぱ査読付き論文だよねというところがありまして、悩ましいんですね。 おっしゃったように、まさに学術誌で書いた論文、例えば自分が書いた論文をわかりやすく解説する、例えばこんな実務の話がありましたよと事例も交えて解説する立ち位置ですので、原田さんのような読者が増えると嬉しいなと思っています。 原田—ただ一方で、今の所属大学は評価するかもしれませんが、流動することを前提にしたときの個人への評価は別です。あるヨーロッパの大学が独自評価指標を作ったときに若手がすごく反対した。なぜかというと、ジョブマーケットの評価と自分の大学の評価が違うと困るからという話を聞いたことがあるんです。学問の多様性と言いながらダブルスタンダード的なところあるのかな、教員は悩んでいるんじゃないかなと勝手に思っています。 吉岡—その点は、『一橋ビジネスレビュー』に書くもう一つの動機としてありえることで、実は私立の大学へ行きたい方にはすごくいいんですね。アウトリーチなので、わかりやすく書けるかどうかが問われます。わかりやすく書いて、わかりやすく授業をしなくちゃいけないのは、比較的マスプロの授業をやっていらっしゃる大規模私立大学とか、あるいは比較的学力が高くない学生さんが行くような大学です。『一橋ビジネスレビュー』で書ける人っていいわけですよね。そこの就職活動にすごく使えるのではないかと思っています。 Q3:クオリティコントロール 質問者3—学術出版の方も多数参加されているので、メディアの違いと特性と分野特性について補足をした方がよいかと思ったので、コメントさせていただきます。 世界のグローバルスタンダードの学術誌に論文を出す競争には、補助線を1本引かなきゃいけない。いわゆる原著論文とレビュー論文です。若手の頃は原著論文を書いて一定のクオリティのもので戦って世界で示すことが必要なんですが、学会でのある一定の基準を満たしたら、レビュー論文を書いて引用されることも一つの業績競争になってきます。計量書誌学をやっていますと、一般にレビュー論文の方が引用数が多く、とくに社会科学で顕著ですが、一流誌のレビュー論文の引用数が圧倒的に高いことがあります。そこに書けること自体が一つのステイタスで、経営学は世界への標準化が進んでいる分野なので世界競争に準拠しているんですが、世界競争に入ってない社会学寄りになると、査読の付いていない依頼論文の方が偉いという国内誌のロジックも併存しています。さらに、法律学などでは、商業出版のエコシステムの中でレピュテーションシステムがあり、質の担保として、プロフェッショナルな編集者が介在することによって学術誌よりもクオリティが上がっている現実があるわけですよね。 それを一緒くたに指定国立になったから原著論文がよいとなって、補食ジャーナルなのかオープンアクセスジャーナルなのかよくわからないけど、インパクトファクターはついているところと、今まで日本国内で日本語の出版文化を維持してきたところとのバランスをどうとったらいいんだろうという状況が生まれてきていると思います。 吉岡先生は法律学からスタートしていてそのあたりの感覚も全部ご存知だと思うので、そういう違いもある中でどう考えているのかを聞かせていただけると助かります。 吉岡—おっしゃる通りで、法律ですと、裁判官の方、弁護士の方はプロですので、そういう方々が読んで、ある種ピアレビューよりも厳しい、読者としてボコボコに批判して、場合にはその人たちが自ら著者として乗り込んできて、こんな糞みたいなこと言ってるけどおかしいということがあり得て、そこでもまれるエコシステムがあります。 経営学も本来はそうあるべきだと思うんですね。経営学の中で、とくに実証研究ですと、本来はフィールドを持ってる方々(=産業界)が強いはずなんですよ。例えば、社員で実験しました、あるいはお客さんに対して実験しましたというと、より説得性が高いわけです。少なくともその顧客層の中では正しいんだということになります。私どもは商業誌としてうまく成り立っている面はあります。商業コミュニティの商業誌として出していて、商業コミュニティの中で十分にクオリティコントロールがなされていると思います。ここが、実務家の方にも求められている分野なのかどうかで、分かれてくるのかなと思いました。 でも、同じことが理系でも言えると思うんです。理系でも企業の研究者が多い分野ですと、商業ベースでも成り立ちうるんじゃないかなと思うんですけれども。それぞれの学術分野の違いもあるのかもしれませんが。 Q4:大学が出版機能を持つ意義 原田—大学出版さんも多く参加していますし、そもそも大学が出版機能を持つということについて、ぜひご意見をいただきたいですね。いろんな媒体があり、外部の雑誌もあるなか、大学が出版する意義があるとお考えでしょうか? 気軽に頼めるとか安いとかは別にして、大学が出版機能を持つ、大学がリードして発信することの現代的意義は大事かと思っています。紀要はたぶん今増えています。ハードルが下がったのかもしれません。ただ、経済学部とか、商学部とかわかりやすいんじゃなくて、学部が多様化して学問分類されていなくて、紀要も学問体系的でなくていろいろな研究が集まっている状況で、大学が出版機能を持つ意義って何なんだろうというのに、ぜひ吉岡さんのご意見をお願いします。 吉岡—他にいただいている質問「一つの方向性として、video abstractなどを取り入れてミスクトメディア的に展開する可能性もあったりするのでしょうか? 読者層的に」を混ぜながらお答えしたいと思います。 私の感覚からすると一番大事なのは、クオリティコントロールです。成果はリニアモデルじゃないと思うんですよ。リニアに出していくのは、原著論文で頑張りなさいと。ただ、原著論文もレビューアーとの創発なんですけどね、本当は。社会に問うていくんだったら、編集者や企画をする人たちとの創発性が必要です。一般書籍として売るんだったらなおさらそうだと思います。読者が何を求めているかを意識して書かないと、読んでもらえなくなってしまうので。大学が出版機能を持つことがいいのか悪いのかの本質は、そういう人たちを抱えられるかどうかによると思うんですね。法律分野のように、有斐閣さんという明確にそういう機能を持っている会社があるならもうそれでいいし、なければ自分たちで抱える必要あるかもしれない。そこが中心だと思います。 ただ、果たして出版だけなのかと。とくにビデオ・アブストラクト、映像でやったらいいんじゃないかと。大学教員だった方が、ご事情があって大学をお辞めになって、オンラインでビジネス研究を簡単に伝えるビデオを作ってらっしゃいます。そんなにたくさんの視聴者を抱えているわけではないんですけれども。YouTubeを使って無料で配信して、それを塾と結びつけて、そちらで収益性を担保されています。そういう形でアウトリーチするのも一つの手で、それも同じようにクオリティコントロールができるのであれば、それはそれで決して悪くはない。 出版機能を持つべきかは、悩ましいところがあります。ただし、繰り返しますが、私自身はプロフェッショナルな編集者の役割は相当大きいと思います。かなり鍛えられると。私自身もかなり鍛え上げていただいているので。その役割は捨てがたいんじゃないかな。 もちろんビデオの方も映像監督やプロデューサーの方々が入ることで、鍛えられるかもしれないなと思うんですけども、とりあえず映像よりは、論文を書く研究者としては、文字が書ける方がいいので、学術出版にまだ分があるかなって気はしています。 原田—上質な学術誌という言い方もあると思います。変な情報、悪貨が良貨を駆逐する、にはなってほしくないので、市場価値が少ないものでも発信していく機能をもし大学に担っていただけるならば、意義があると思います。一流の研究者が学術コミュニティだけで発信していると、変な社会科学の持論が普及しちゃうなと最近とくに心の中で感じています。 […]

【開催案内】研究・イノベーション学会大学経営研究懇談会 オンライン研究会「大学が学術出版をする意義と方向性(1)」2023/2/3(金) 18:30‐19:30 講演者:吉岡(小林)徹 氏(一橋大学)

【開催案内】研究・イノベーション学会大学経営研究懇談会 オンライン研究会「大学が学術出版をする意義と方向性(1)」2023/2/3(金) 18:30‐19:30 講演者:吉岡(小林)徹 氏(一橋大学) 詳細は下記よりご参照ください。 https://www.jsrpim-daigakukeiei.jp/post/【開催案内】2-3-オンライン研究会「大学が学術出版をする意義と方向性(1)」 1.開催日時 2023/2/3(金) 18:30‐19:30 オンライン開催 2.講演者 吉岡(小林)徹 氏 一橋大学大学院経営管理研究科 経営管理専攻 専任講師 一橋大学イノベーション研究センター 専任講師 3. 参加申込 次の入力フォームに必要事項をご入力ください。(参加費:無料) https://forms.office.com/r/kkfKQ5MaPw 4.問い合わせ先 研究・イノベーション学会 大学経営研究懇談会 幹事 原田 隆 harada-takashi@tokodai01.onmicrosoft.com   研究者の社会的使命は、学術研究の発展に貢献することです。研究者にとって学術論文や学術書(以下「学術論文等」)で研究成果を発表することは、代表的な、そして最も大切な責務とっても過言ではありません。そして、この研究成果の普及と批判的な考察において重要な役割を担っているのが学術論文や学術書です。学術論文等の出版により研究成果は広く社会に還元され、同時に専門家による批判的考察が行われます。学術論文等について考えることは、責任ある研究のあり方について考えることでもあります。 上記のような認識のもと研究・イノベーション学会「大学経営研究懇談会」では定期的に大学が出版機能を担う意義について考えてまいります。第1回目は、商業雑誌である「一橋ビジネスレビュー」を題材にして ・学術研究の社会還元のあり方 ・学術コミュニケーションのコスト、ベネフット、アウトカム ・大学の果たすべき役割 について参加者とディスカッションしたいと考えます。 共催:紀要編集者ネットワーク 本研究会は次の支援を受けております。 科研費 若手研究(研究代表者:新潟大学 白川展之准教授) 「大学評価への計量書誌指標の導入のもたらす社会科学研究への逆機能性に関する研究」(19K14279、期間:2019.04.01–2023.03.31)

テーマ討論および質疑応答

セミナー「挑戦する学術誌」2021/10/29 研究・イノベーション学会 第36回年次学術大会 企画セッション https://kiyo.cseas.kyoto-u.ac.jp/2022/02/seminar2021-10-29/ 北田智久(近畿大学 経営学部 会計学科 講師) 伊藤貴之(お茶の水女子大学 理学部 情報科学科 教授) 梅⽥拓也(同志社⼥⼦⼤学 学芸学部 メディア創造学科 助教) 今関裕太(江⼾川⼤学 基礎・教養教育センター 助教) 宮野公樹(京都大学 学際融合教育研究推進センター 准教授) 林和弘(文部科学省科学技術・学術政策研究所 データ解析政策研究室 室長) 原田隆(東京工業大学 主任リサーチ・アドミニストレーター) 天野絵里子(京都大学 リサーチ・アドミニストレーター) 天野—ディスカッションと質疑応答に移りたいと思います。今回、それぞれの雑誌について詳しくご説明いただいたので、登壇者間でお互いに訊いてみたいことやコメントがあるかと思いますが、いかがでしょうか。 クラウドファンディングのリターン 北田—『メディウム』の梅田先生と今関先生に質問です。クラウドファンディングのリターンにはどういったものを設定されていたのでしょうか? 梅田—リターンとして設定していたのは、まずは完成した雑誌『メディウム』です。クラウドファンディングのプロジェクトページを画面共有させていただきます。これがプロジェクトのページで、金額はアカデミスト社さんのアドバイスで、1000円、3000円、5000円、1万円、2万円、5万円という区切りにしました。1000円のリワードは創刊の過程を細かく書いた活動報告レポート、3000円はこれと第1号の創刊号に謝辞を載せるというもの、5000円はそれに加えて完成した第1号1冊とファングッズ的なステッカー、1万円はさらに創刊号完成記念研究会に優先で招待させていただくというものでした。2万円はこれに第5号まで加える、5万円は企業様などのサポーターを想定しながら広告掲載を載せますとしました。ただ、5万円は0人だったんですけれども。でも、19人のサポーターの方から2万円の支援をいただきました。いまお見せしたプロジェクトページは、「メディウム クラウドファンディング」とGoogleで検索するとヒットするので、さらに詳細がお知りになりたい場合は、ぜひ検索していただければと思います。 北田—ちなみに、サポーターはお知り合いの方ですか?それとも全然知らない方がサポートしてくれますか? 今関—もちろん知り合いも多く支援してくださったんですが、まったく知らない方、プログラマーの方とか、エンジニアの方とか、アカデミアとあまり関わりのないような方もたまたまTwitterなどで見つけて支援してくださって、そのあと研究会にも来てくださったという方もいらっしゃって、そこは私たちも嬉しいとともに驚いたことでもありました。 『メディウム』の購買者層 天野—設楽さんから質問です。「それぞれの雑誌にターゲットがあると思います。『メディウム』のターゲットはまずは人文系の研究者だと思うんですが、オンラインで販売されているので実際に人文系の研究者が多かったなど購読者層がわかりますか?」 梅田—買っている人の属性を把捉しきれていません。ただ、支援してくださった方は身分を明かしてくださった方が多くて、具体的な数値は出していないんですが、大学に所属されている芸術系の方や思想系の方や語学系の方も買われている印象でした。ターゲットにちゃんと刺さっているのではないかと思います。研究会などのときも、アカデミアの外の実践者といった方も来られるんですが、加えて若手の研究者の方も来てくださるので、そういう層にリーチしていると認識しています。今関さん、補足等ありますか。 今関—オンラインでの販売はお名前など書いていただかないので把握しきれていないんですが、クラウドファンディングや研究会の参加者ですと、職業として目立つのは人文系の大学教員、研究者以外ですとプログラマーと書かれている方が多かった印象です。 天野—想定外ですよね? 梅田—意外と狙っていました。第1号で特集したのはフリードリヒ・キットラーという思想家で、僕の直接の専門の研究者なんですけど、哲学やドイツ文学が専門でありながら、プログラミングに非常に長けた人で、思想とある種の実践をうまく組み合わせることを図っていた人だったので、人文知と電算機科学の知を重ねることに関心を持っている方がかなり来られました。そういうネットワークを増やしたいなと思っていたところ、狙いどおり刺さってくれる方がいらして、すごくよかったですね。 天野—狙いどおりだとわかるというのは、雑誌の発行以外に研究会もされたからなのかなと思いました。 雑誌創刊のきっかけ 天野—私から皆さんに質問です。それぞれに雑誌を出した理由をご説明いただきましたが、そのユニークな取り組みを誰か「よし、やろう」と言い始めたきっかけはどういう感じだったのでしょうか? このセッションを聞かれている方の中で、アイデアを持っているんだけど、実現させるのは大変だなと思われている方がいらしたら、そういう話を聞くとハードルが低くなるんじゃないかなと思うんです。 北田—お世話になっている先輩と飲みにいった席で、先輩がこういうことをやりたい、自分が編集委員長をするから、副編集委員長を頼むっていうので始まりました。もともと既存研究の追試自体に価値があり、非常に重要だと我々は共通の問題意識として認識していましたが、きっかけはその飲み会の場です。 伊藤—我々は会員百人、二百人ぐらいの小さい学会からスタートしたものですから、経費を抑えるために、最初から紙で発行しないという意識はありました。もともと紙よりも画面と相性がいい分野という事情もありました。それから、僕が初代編集委員長になったときに感じたのは、この分野は筆頭著者が学生である割合が際立って高いということです。学生は卒業するまでの時間が限られているので、早く出版できる雑誌が欲しいというのを非常に強く感じました。早く出版できるのもデジタル化のメリットの一つだと思っています。 梅田—東京大学の大学院にいたときに、僕は文学とか哲学をやっているメディア研究者を読むっていうことをやっていて、今関さんは文学研究の立場でメディア論を読むっていうのをやっておられて、かなり近接した領域だったので読書会を一緒にやっていました。そのなかで、投稿先ないよねっていう話になり、じゃあ作ればいいんじゃないっていう流れで作ることになりました。大雑把に言うとそういう感じですかね。加えて何かあれば、今関さん。 今関—一言つけ加えると、いざ作ってみて、投稿先ができたと思いきや、自分たちで運営している雑誌に自分の論文を査読つきとして載せられないじゃないかと。カテゴリーを査読ありの論文、審査ありの試論、レビュー、翻訳って分けて、自分たちで翻訳や試論を載せてはいるんですが、自分たちの査読論文を載せることはできないので、引き継いでくれる方に早く引き継いで、投稿者の側にまわりたいっていう気持ちがすごくあります(笑)。 商業誌の新しい試み 天野—今このセッションを聞かれている皆さまの中で、自分たちはこういう面白い試みで新しい雑誌を出しているよとお話しいただける方がいらっしゃいましたら、ぜひ手を挙げてお願いしたいと思うんですけれども、どなたかいらっしゃいますでしょうか。 原田—会計学や法学などは「制度」を研究対象としていることもあり個別の法律や基準の内容や改定された背景の解説が掲載される商業誌が研究者にたくさん読まれ引用されています。会計学で権威のある『企業会計』という中央経済社が出している商業誌がありますが、数年前から査読付き論文を募集しています。カンファレンスも開催するなど商業誌も変容してきているなという印象を持っています(注1)。 注1 「『企業会計』査読付き論文コーナー創設にあたって」中央経済社 企業会計の査読付き論文コーナー、https://www.chuokeizai.co.jp/acc-pr (accessed 2022-02-20)。 『といとうとい』 天野—実は後ろに貼ってあるポスターは、『といとうとい』という京都大学の宮野先生が中心になって最近出された学際研究の雑誌のものなんです。宮野さん、よろしければご紹介いただけたら。 宮野—ありがたいな、『といとうとい』のポスターを貼っていただいて。ありがとうございます。先ほどの「投稿する先がないな、じゃあ作ろうか」っていうのと同じ発想です。僕も学際とか分野融合のあたりで仕事をしていまして、学際って学問本来の性質だと思うんですよね。そもそも僕ら研究者の問いは、◯◯学とか◯◯分野に収まるものじゃないわけですよね。問いに正直になることが学問なんです。だから、問いをそのままぶつけられる論文誌——論考誌って言ってますけど——は、学問そのものの論考誌になるわけです。今までそういうのがなかったんで、僕らこういうのを作りたいんだよってことをお示ししたいなと思って、寄稿を依頼して8名の研究者の人たちに書いてもらってVol.0、準備号ができました。いよいよVol.1、創刊号を2022年度に作ろうと思ってます。 手短に特徴を三つだけ。一つ目は、理系ではわりとメジャーになりましたが、査読者とのやり取りをすべて公開するということ。二つ目は、やっぱり学問の雑誌なんで、言葉とか、論理とか、データとか、それそのものも疑うって大事だなと思ってて、その言葉で伝えられない何かを表現するために、アートディレクションというか、写真と一緒に論文を掲載したりしてると。三つ目が、分野を問わず、投稿を受け付けるということです。注意したいのは、「学際研究」の掲載じゃない。分野を問わないってことであって、いわゆる学際研究の専門誌ではないってことですわ。なお、Amazonでも売ってるし、一般書店、大学生協なんかでも売ってるし、頑張ってます。皆さんにご関心を持っていただけたらありがたいと思ってます。 査読 天野—宮野さん、ありがとうございます。査読の話があったんですけれども、各学問分野が抱えている問題、再現性であるとかの問題を解決したいという思いで、論文の裏側にあるプロセスを変えていこうという強い意志がそれぞれの雑誌でおありだと思います。今はこうだけれども、もっとこういうふうにしていきたいんだっていうことなどありますでしょうか? 梅田—いま、『といとうとい』のサイトを拝見させていただいたんですけど、査読プロセスを全部公開する取り組みをされるとのことで、すごくうらやましいなって思って。まだ体制が整っていなくて、制度の検討もちゃんとできていないんですけど、僕も、査読のプロセスを全部公開できるようにしたいなと思っています。というのも、立派な学術誌でも、若手のあいだで送られてきたレビューを見ていると、査読者の無理解による講評としか思えないことやハラスメンタルなことが書いてあったりするので、査読がクオリティチェックの機能を果たしていないという問題意識を持っています。とくに僕みたいに領域横断的な分野にいると、境界的な問題関心は理解されないっていう意識が強くなります。 投稿する側も、読む側も、査読があるから大丈夫っていう結論になってしまっているのがすごく問題だなと思っています。そうじゃなくて、マインドセットごと変えて、査読プロセスがオープンになっているからこそ信用できる、推奨できるんだっていうかたちにしていくべきなんじゃないかと思っていて、すごく面白い取り組みだと思いました。だから、『といとうとい』で、オープンにするにあたって、制度的に何か問題が発生した点、考慮した点があったら、教えてほしいなと思いました。 宮野—「査読って何?」っていう問いを持ったら、おっしゃるとおり公開するしかないですね。理系では査読前の状態、情報をプレプリントサーバーに出して、みんなでもんで、それを査読付きの雑誌に投稿にするのがどんどんメジャー化してますけど、査読したからといって、その論文がいいとも限らないし。『ネイチャー』でも『サイエンス』でも、取り下げの論文がいっぱいあるんでね。 『といとうとい』では、論文を書く前にコンセプトペーパー、短いショートエッセイを書いてもらって、それで掲載するかどうかを編集委員——査読者とは言ってません——がみんなで決めて、そのままそれを100人論文(注1)みたいな場所にぽっと出して、いろんな人にもんでもらおうと思って。投稿したあとも、メッセージをやり取りできるサイトをずっと残しとこうと思ってて。あとは歴史が見てくれるんでね。誰が何を最初に言ったかが大事だと思ってるんで。厳密に言うと、それも意味のないことですけどね。 梅田—投げて終わり、業績稼いで終わりじゃなくて、投稿されたあとも議論が続くのが、そこからちゃんと議論がスタートしていくのがすごく理想的というか、いいなと思います。 注2 京都大学で始まった、先端的な研究テーマや、これから研究になるかもしれない芽を100近く掲示する展示企画。http://www.cpier.kyoto-u.ac.jp/project/kyoto-u-100-papers/ 定量評価に対するスタンス 天野—このあたりで最初の問いに戻っておこうと思います。皆さんそれぞれに媒体を作って論文などを発表されていますが、それはジャーナルインパクトファクターなどの定量評価に対するチャレンジなのか、それとも、それはそれとして、こっちはこっちでやってるよということなのか、そのあたりのことを教えていただきたいなと思います。 伊藤—私は完全にそれはそれ、これはこれでいます。とくに情報科学では、学生なら和文の論文も業績として認められる場面があるけれど、プロの研究者はほとんど英文しか業績として見られない傾向が強いんです。一方で、修士で就職して企業の研究所の開発にいくような人が、論文を書く層としてすごく厚い分野なんです。修士で就職する人の中には和文で論文を出す人も多く、一方でプロの研究者として一流になる人は世界に挑戦するというツーウェイになっています。だから、和文も英文も同時に労力をかける人が多数います。 北田—会計では、おそらく経営学でもそうかと思うんですけど、就職するときでも、国内の雑誌が十分に評価されています。逆に、日本の研究者が海外の雑誌になかなか掲載できていないという問題はあります。とくに若手の人は自らの研究を行う上で、過去の研究の追試をやることが多いと思います。そういう人たちが追試をした結果を無駄にせず世の中に出せるということが「会計科学」の一つの意義かと考えています。インパクトファクターなどにあらがおうという意図はなく、とくに若手研究者が追試をした結果を載せられる媒体を意識しています。 日本語で出す意義 天野—皆さん日本語で日本発で出していらっしゃいますが、学術に国境はありませんので、国際的にインパクトを与えていきたいと思っていらっしゃると思います。そのなかで、やっぱり日本語で出す意義を教えていただけたらと思うんですけれども、いかがでしょうか? 今関—まず、ちょっと戻ると、人文学の分野では、そもそもインパクトファクターによる評価がなじまないことがあります。フーコーやマルクスをはじめ、他にも無数に例は思い浮かびますが、被引用数が多すぎる論文や書籍がありますし、間接的な言及や必ずしも明示的でない手法の模倣などもあるので、一概に数字で表せるものではないというのは前提としてあると思います。 日本語で研究を蓄積していく意義もそうした点に関わってくると思います。人文学という学問領域では翻訳という営みがきわめて重要で、現在では英語圏がさまざまな分野で強い影響力を持ち多くの言語に翻訳されていますが、その一方でフランス語圏やドイツ語圏、あるいは日本語圏の論文や研究書でも、他の言語に翻訳され地域をまたいで読まれるものは少なくないですし、翻訳先の言語圏で独自の注釈の蓄積や学問潮流が生まれる場合もあります。こうした営みは古代ギリシャやローマの時代まで遡るものと言えます。このように考えれば、長期的な目で見れば日本語でしか蓄積できない研究があるかもしれないわけですが、やってみないとわからない。それがインパクトファクターで評価できるか疑問に思っている研究者が人文系の分野では多いんじゃないかという前提があります。 『メディウム』の創刊時に考えたのは、人文学に立脚してメディアについての議論を行う場が現在の日本語圏にほとんどないのは問題だということです。それに、悲観的すぎるかもしれませんが、いまぐらいの規模で日本語で学術交流、蓄積を行っていく体制が果たして30年後、50年後、あるいは10年後に可能かっていうと、もう危ないんじゃないかっていう危機感がありました。日本語で思いっきり議論をして、日本語でさまざまな翻訳が読めてっていうのが当たり前じゃなくなってくるかもしれないから、いますぐにやらなきゃいけないっていう意識がありました。 伊藤—我々の分野のデジタル作品ですと、コンピュータグラフィックスのゲームを作るとか、ポップス音楽を作曲するとか、中高生の趣味でさえあり得るような、そういう分野です。よって、そういう世代の人たちに夢を与えるという意味で日本語で論文を書きたいという思いは、少なくとも僕にはあります。 もう一つ、日本語の論文が英語に自動翻訳されても意味を損なわないタイプの分野なので、そのうち自動翻訳の精度が上がって、いい研究をしてれば何語で書いたっていい時代がくるんだと開き直っている人も結構います。 北田—たとえば日本のデータを使った追試研究でも海外の雑誌に載るのであれば、読者も増えるという意味でそれがベストなのかなとは思います。ただ、日本のデータで追試したものが、そういったところに載るかっていうと、恐らく載らないですね。じゃあそれが研究としてまったく価値がないことかっていうと、我々はそうは考えておりません。そういった意味で我々の雑誌は一定の貢献をできているのかなと思います。 天野—設楽さんが詳しいんですけれども、ビブリオダイバーシティ(書誌多様性)は、ヨーロッパでよくいわれているキーワードです。ヨーロッパも英語圏ではないところがほとんどなので、各国の言語での研究の発表が蓄積としてはあるんだけれども、やっぱり英語論文のほうが評価がされる部分もあって、でも、自国語での発表がしっかり評価されるようにしていこうっていう動きがあります。研究支援者としては、この日本の動きを捉えて、しっかりやってますよと発信していかないとと感じています。 F1000Research 天野—「F1000Researchについてどう思いますか?」という質問が参加者からきています。F1000Researchはオープンアクセス投稿プラットフォームですが、林さんに解説をお願いできますか? 林—こんなこともあろうかと、スライドを用意しておきました。これがそのベースとなる考え方で、論文を書いたらデータとともにまず公開(出版)して、そのあとオープンピアレビューを記録を全部残しながら1回、2回とやって、どんどん改訂をしていくと。プレプリントのよさと、オープンピアレビューのよさと、バージョンコントロールを全部内包して、プラットフォーム化されたものがF1000Researchです。有名なところでは、ウェルカム・トラストやゲイツ財団が導入しています。これをベースに、一言で言うと、今の商業出版社が(紙の時代から引き続く仕組みで)牛耳るような学術情報流通のゲームチェンジをもっとデジタルネイティブに起こしましょうっていうのがF1000Researchの母体であるオープンリサーチセントラルの考え方です。私はこのイニシアチブに協力している一人として、ご紹介させていただきました。 日本は日本で、皆様方のように面白いと思ってやっている人にどんどんやっていただいて道が切り開かれていけばいいなと思って伺っておりました。 天野—日本だと筑波大学が取り入れているんですよね。もちろん分野によらず、人文系から自然科学系まで投稿できて、オープン査読でやっているプラットフォームです。これは、英語だけじゃなくって、日本語もOKなんですよね。 林—はい。いま筑波大学さんが、日本のファーストペンギンとしてがんばられていると理解しています。 天野—「F1000Researchについてどう思いますか?」という参加者からの質問ですが。 原田—すごくユニークだと思います。大手の出版社に牛耳られている学術流通に対する不信とか、査読の問題点へのアンチテーゼみたいなものだと思うんですね。東工大は恵まれたほうなのでトップジャーナルを読める環境にあるんですけど、地方大学になると読むべき論文が高くて学生が論文を読めない状態にあります。良質な論文、押さえておかないといけない論文を学生が読めない状況をどうにかしたいという問題意識は、学術社会で持っておくべきかと思います。このオープンリサーチセントラルは、その一つのきっかけになるのではないかと期待しています。今回登壇していただいた先生方の取り組みもお聞きしてメジャーな価値観の意義は尊重しつつも、それとは異なる価値観も許容でる学術社会であってほしいし、その実現のため私たち学会関係者も努力していきたいと思うようになりました。 林—念のため補足させていただくと、F1000Researchはまだそれほど流行っていなくて、どこで流行っているかっていうと、欧米の私的研究助成団体が使っています。ゲイツ財団などは研究費を配るんだったら、全部透明にしなさいと。単純にそういう動機からきているところがあります。 今日ご登壇の皆さんは、動機としては面白いと思って、あるいは分野特有の動機があって、ご自身のメディアを作られていて、商業出版社を倒すといった目的のためにやってるわけじゃないんですよね。もっと早く、あるいは、効率よくみんなに研究成果を知らしめて、その貢献が認めてもらえるようにしたい、それを実現する手段として、こういうのもあるよということの事例が集まった。日本の場合、手弁当になりがちなんだなと思いながら伺ってたんですけど、F1000Researchはときに数千万円以上のお金を使って運営されることもあるんですよね。ということで、研究者の内在的欲求に従って自分が面白いと思うメディアを作ることはもっと大事にされてよくて、ご紹介したF1000Researchもあくまで手段の一つ、ゲームチェンジのツールとしての一つであって、今日の議論の本質は自分は誰に何を届けたいか、であり、さらに日本語も大事にすることなんだろうなと思います。 天野—伊藤さんからも「オープンリサーチセントラルはすばらしいと思います。参考にさせていただきます」ということです。F1000Researchも、大学としてみんなが使えるように契約しようと思ったら安くはない。しっかりしたプラットフォームを作る試みなので、それに乗っかってしまったら楽っていうところは研究者の皆様にもあると思うんですけれども、やっぱり独自のプラットフォームを作ってやることの意義やメリットもあると思います。 改めて今後の展望 天野—時間もなくなってきましたので、まとめていきたいと思います。それぞれのご講演の最後で今後どうしていきたかについて触れていただきましたが、ディスカッションを経て、強く思うことであるとか、これから考えていきたいということがありましたら、順に教えていただきたいと思います。 北田—まだまだ『会計科学』自体が非常に若い雑誌なので、まずは認知度を上げて、どんどん投稿してもらう数を増やしていくことが必要になってくると思います。規模を拡大するうえでは、クラウドファンディングというような資金集めも非常に有効な手段なのかなと個人的には思いました。 伊藤—今日の話の中でとくに刺激を受けたのは、皆さん、査読に対して一定の問題意識を持っていらっしゃるということです。我々も工学系と芸術系のはざまにいると、たとえば、芸術作品は論文として査読できるのかという問題が絡んできて、どう査読すればいいのかずっと悩んでいる問題だったんですけれども、今日、お話を聞かせていただいたことを学会に持ち帰って、いろいろ参考にさせていただければと思っております。どうもありがとうございます。 梅田—まず、北田先生のお話を聞いて、再現だったり、レビューだったり、業績にはならないけど絶対にみんなで共有したほうがいい議論はたぶんどの分野にもあって、我々の分野にもたぶんあると思います。そういったものをちゃんとすくい取れるプラットフォームに『メディウム』はなっていかないといけないなと思いました。 伊藤先生の話を伺って、これからは文字だけじゃなくて、映像だったり、画像だったり、さまざまなメディアを使って、学術論文が書かれていくっていうことも踏まえると、デジタル化も検討していかないといけないし、若手の人たちが安い値段で最新の研究に触れられるようにするためにはオープンアクセス化がすごく大事だと思うので、うまいことウェブを巻き込めないかな、参考にしたいなということがたくさんございました。ほかの方々からいただいた意見もすごく参考になりました。ありがとうございました。 今関—改めまして、ありがとうございました。英語圏を中心とした国際的な場でのアピールというのを皆さん、もはやスタンダードとして常に意識されてるんだなというのを改めて感じました。私たちに関しては、日本語でとりあえずやっていくという姿勢ではあるんですが、それでもオンライン公開できる範囲で、たとえば掲載論文のアブストラクトだけでも、英語やドイツ語やフランス語で公開していくのはありだなと思います。 たとえば私は『メディウム』の第1号に、ドイツのメディア研究者であるフリードリヒ・キットラーと、『ゲゲゲの鬼太郎』の作者である水木しげるの関係についての試論を書いたんですが、これを書いてる人、たぶん世界で一人なんです。検索して、それが出てくるようにするっていうだけで大きな違いなんじゃないかと。 第2号はまだ出ていないくて〔注:2021年12月に発行済〕、目次だけ公開してるんですけども、掲載論文のひとつはライプニッツとダナ・ハラウェイという研究者を取り上げていて、この二人の思想家がタイトルに含まれている論文って、たぶん世界でこれだけじゃないかと思います。アブストラクトだけでも英語やドイツ語でオンライン公開すれば、この論文が検索で引っかかるようになる。こういう研究を日本語圏でやってるんだぞっていうのを、英語圏をはじめとする外国語圏の人々の目にとまりうるようにするだけでもだいぶ違うのかなと思いました。 天野—ありがとうございました。今関さんが研究者は、論文の執筆者でもあるし、査読者でもあるし、編集者でもあるとおっしゃっていたのが私にとっては一番印象的で、編集者である研究者を私も研究支援者として支援することができればと思います。このように面白くて、興味深く、学術的にもインパクトの高いお仕事をされている事例があるんですけれども、残念ながら独自のプラットフォームは最初は検索されにくかったりするデメリットがあります。それを検索されやすくするといったサポートも必要かなと思いました。では、セッションをこれで締めたいと思います。どうもありがとうございました。

クラウドファンディングを利用した学術誌の創刊と運営 ——学術雑誌『メディウム』を例に——

セミナー「挑戦する学術誌」2021/10/29 研究・イノベーション学会 第36回年次学術大会 企画セッション https://kiyo.cseas.kyoto-u.ac.jp/2022/02/seminar2021-10-29/ 講演3 梅⽥拓也(同志社⼥⼦⼤学 学芸学部メディア創造学科 助教) 今関裕太(江⼾川⼤学 基礎・教養教育センター 助教) 〈第一部〉学術雑誌『メディウム』の取り組みについて 梅田拓也 同志社女子大学、学芸学部メディア創造学科助教の梅田拓也と申します。今回、貴重な場にお招きいただきありがとうございます。学術雑誌『メディウム』という独立系学術雑誌の取り組みについて発表させていただきます。この雑誌は私、同志社女子大学の梅田と、江戸川大学の今関さんの二人で取り組んでいるので、第一部と第二部に分けて説明したいと思います。私のパート、第一部では、学術雑誌『メディウム』の取り組みについてお話しさせていただきます。話題は二つありまして、一つは、そもそも『メディウム』がどういう取り組みなのかということ。もう一つは、この雑誌はクラウドファンディングによって創刊資金を調達し、その資金で運営しているのですが、その運営の実態です。 学術雑誌『メディウム』について——創刊主旨—— 学術雑誌『メディウム』は昨年、2020年に創刊しました。創刊主旨を一言でいうと、人文学分野のメディア研究という、ある種のニッチ領域の議論のためのプラットフォームの創出です。 自己紹介が遅れたんですが、私はメディア研究と呼ばれる、さまざまな情報技術と人間の社会や文化の関係を追う、哲学や社会学の領域における研究をしています。近年の情報社会の進展に伴って、哲学、芸術、文学、歴史などの人文学的な研究においても、メディアをめぐる議論が活発になっています。情報技術、スマートフォンやコンピューターが人間の文化や社会に対していかなる影響を与えているのかの検討が、メディアという言葉をキーワードに最近進んでいます。 ただし、日本語圏のメディア研究は、社会科学の研究者や学会が中心となって展開しているので、メディア研究というと社会学の領域だと思われています。僕がやっている哲学や芸術、文学の研究は、あまりメディア研究だと思われていません。プラクティカルな言い方をすると、人文学、哲学や芸術や文学の研究をしている人たちがメディアについて論じた論文を投稿する場がない状況です。哲学や文学の作品について論じた論文を哲学や文学の学会誌に投稿することはできるのですが、どうしても個別の作品や思想家の解釈に対する新規性で評価され、メディア研究としての新規性が評価されることは基本的にありません。 そういうのを議論するための場をつくりたいという思いからこの雑誌をつくりました。現在、第2号の編集印刷プロセスにあり、来月発刊されるので、ご購入いただければ幸いです[注:2021年12月に発刊済]。 学術雑誌『メディウム』について——運営体制—— 『メディウム』は研究機関や学会から独立した運営を進めており、フラットな議論の場を目指しています。創刊のメンバーである私とこのあと登壇する今関さんの二人で編集を進めています。校閲や組版も私たちが全部手弁当でやっています。ただし、特集にはその特集の専門家にゲストエディターとして参加してもらい、方針のかじ取りをしていただいています。 投稿、査読については、第一号には14件の投稿があり9件を採録、第二号には19件の投稿があり7件を採録する運びとなりました。まずまず投稿がきています。SNSを中心として、知り合いにも宣伝しながら投稿を募集しています。査読は第一号は8名、第二号は13名でやりました。私たちやゲストエディターの方の知人の研究者を中心に査読の依頼をかけて、かなり豪華な顔ぶれになっています。 販売には、BOOTHという同人誌や二次創作品を売るためのプラットフォームを、そこで浮いてはいるんですけど、利用しています。宣伝は研究会やホームページ、SNSでしています。Twitterのフォロワーが最近増えて830人ぐらいになっていますし、宣伝のために研究会をこれまで3回開きました。 資金はクラウドファンディングで調達しました。想定読者は人文学の研究者、印刷された紙にすごく愛着のある人々、集団なので、印刷された雑誌をつくる費用を集めるためにクラウドファンディングをしました。クラウドファンディングの達成額は69万円で、紙版と電子版の売り上げを追加して、その資金で運営を進めています。 クラウドファンディングによる学術誌運営——メリット—— 学術雑誌でクラウドファンディングを使ってみてわかったのは、運営に必要な資金調達はもちろん、研究のニーズ喚起にもつながるということです。クラウドファンディングは、皆さんご存じのとおり、不特定多数のクラウド、群衆の協力者から資金提供を募ることですが、そのメリットには資金調達だけでなく宣伝効果もあります。つまり、クラウドファンディングによって、雑誌の投稿者や読者が集められると思います。私たちのようにすごくニッチな領域を主題とした雑誌や大学紀要など規模が小さいものほど、学会のように大きな集団に頼れないため、こういった手法で宣伝するメリットがあるだろうと思います。実際にやってみて、応援してるよとか、お金しか出せないけどとか、いろんな方から支援をいただいて、こんな領域だけど期待されているんだなって実感が得られたのはとてもよかったと思います。 クラウドファンディングによる学術誌運営——プロセス—— クラウドファンディングのプラットフォームはCAMPFIREなどいろいろありますが、私たちが利用したのは学術研究に特化したacademistです。クラウドファンディングのプロセスは、大きく分けて3ステップあります。企画、実施、リターンの送付です。 企画ではコンセプトの策定、何のためにお金を集めるかのコンセプトをしっかり仕上げることが必要です。資金提供してくれる人が興味を持ちやすいように、これをはっきりさせておく必要があると思います。 実施期間は1カ月から2カ月ぐらいです。利用したacademistのサイト内にプロジェクトページをつくってもらったほか、SNSや学会、研究会メールで宣伝しました。無料研究会を開いて、関心のある方に集まっていただいて議論したあと、こういうのが出るので買ってくださいと宣伝したのも有効だったと思います。 また、資金をくださった方に返すリターン、お返しの準備をする必要があります。学術系のクラウドファンディングはリターンがつくりにくいのですが、雑誌の場合は完成物があるので、完成物をリターンに据えるのがいいかなと思います。それ以外にも謝辞掲載や完成したあとに研究会をするかたちでお礼をすることもできると思います。終わったあとに1カ月ぐらいかけてリターンの送付などを行います。 必要なのは、明確なコンセプト、リターン、宣伝の手段だろうと思います。すべてのプロセスでacademistを運営するアカデミスト社からサポートいただいたのですごく便利でしたが、達成額の20%が手数料となります。私からは以上です。 〈第二部〉人文学における研究成果・研究評価の共有媒体について 今関裕太 江戸川大学基礎・教養教育センター助教の今関と申します。第二部、私のパートでは、日本語圏の人文学における研究成果および評価の共有媒体と、そのなかでどういった枠組み、コンテクストを意識して『メディウム』を発行しているかをお話ししたいと思います。前半で現在の日本における人文系の学術雑誌の体制を概観したうえで、後半で『メディウム』の査読体制と今後の展望をお話しする構成になっています。 現在の日本における人文系の学術雑誌の体制 現在の日本における人文系の学術雑誌は、大きく三つの種類に分けられる——そうじゃないと言う方もいらっしゃるかもしれないのですが——のではないかと思います。 一つ目は商業誌で、古くからある有名な岩波の『思想』ですとか、新しいものですと堀之内出版の『nyx(ニュクス)』とか、あるいは特定分野に特化したものだと、亜紀書房から出ている文化人類学の『たぐい』ですとか、ほかにもたくさんあります。こうした商業誌は発行頻度が高くて、読者層も研究者に限られずに広いというメリットがあります。その一方で書き手は公募制ではない場合がほとんどで、原稿掲載のためには編集者・出版社との何らかのつながりが必要という場合がほとんどだと思います。 二つ目は紀要です。これは基本的には大学の研究室や学科単位で発行されています。現在は多くがウェブ上で無料公開されていて、アクセスも容易ですし、異分野間の交流が生じる機会も多く、普通の査読誌には載りにくい自由な発想を発表する場にもなるなど、さまざまな長所があると思います。その一方で、専門分野に特化した研究の蓄積が困難な面もありますし、投稿資格は基本的に当該組織の所属者に限定されます。 三つ目は学会誌です。査読体制が充実している場合が多く、専門性の高い議論を蓄積する中心的な場になっています。一方で、年刊発行で投稿機会も年に1回か2回というものが多く、分野によって論文執筆から発表までのペースは異なるとは思いますが、一度で査読に通らないと出版に至るまでにそれなりに時間がかかります。また、一概にはいえないんですけども、投稿者と編集者と査読者の間でどこまでコミュニケーションがとれているかという点については(紀要や商業誌の場合にも当てはまることだと思うんですが)、十分でない場合もあるだろうと思います。 ちなみに英語圏では、学術研究の発表形態や評価方法を専門的に扱う学問分野として、scholarly communicationと呼ばれるものがあります。私が留学していた大学では授業も開かれていましたが、大学教員や図書館員をはじめたくさんの専門家が活躍しています。一方、日本では、研究成果の発表や評価の方法に関して議論する場や機会は英語圏に比べて少なく、査読について考える際にはそうした状況も考慮するべきだと思いますが、今回は深入りしません。 以上のように大きく分けて三つの種類の媒体があるなかで、短期間で多くの成果を出すことが——社会的な立場が不安定な若手研究者はとくに——求められている状況、さらに、特定分野の範疇に収まらない論文が多く書かれている、あるいは本当ならもっと多く書きたい人がいるという状況で、どのような性質の媒体が必要かを考えたのが『メディウム』の創刊の背景です。 『メディウム』の査読体制 今のような問題意識を踏まえて、梅田さんと私で、クラウドファンディングをする傍らで、雑誌の査読体制を議論しました。『メディウム』の査読には大きく三つの特徴があります。一つ目は、会員制度や投稿資格を設けないことです。学会に所属している人だけが投稿できるかたちにしないことで、研究分野や立場のために生じがちな壁を取り除こうと考えています。 二つ目は、掲載原稿の水準を一定以上に保つために、明確な査読規定を定めてオンラインで公開し、シングルブラインド制の査読を行うことです。ただし、査読者の氏名は一覧にして巻末で公表しているので完全なシングルブラインド制ではありません。この点は、一般的な査読誌、学術雑誌と大きく変わりません。 三つ目は、投稿プロセスです。ほかの学会誌、学術雑誌にはなかなかないプロセスを設定しています。投稿者にはいきなり論文を提出してもらうのではなく、最初は短い(400字程度の)内容案を出してもらい、編集部からコメントして、必要に応じてさらにやり取りします。それを踏まえてもう少し長めの章立て案(2000字程度)を出してもらって、またやり取りします。そのうえで初稿を出してもらい、査読者に送ります。先ほど、日本の学術雑誌、学会誌の問題点として、投稿者、編集者、査読者間でのコミュニケーションがうまく確保されていない場合もあると言いましたが、そうした問題意識を踏まえてこうした体制を整えています。査読結果に対して疑問がある場合は編集部および査読者への質問状も受けつけます(これは制度として設けている媒体も少なくないと思います)。 『メディウム』の運営上の問題点 こうした体制で運営を行っていますが、問題点も当然あります。一つは編集部の負担です。ゲストエディターとして外部の方をお招きすることもありますが、組版も校閲も経理も販売も宣伝も査読者の確保も私と梅田さんの二人でしています。二人とも大学の授業や校務もあり、負担が大きいというのが正直なところです。 もう一つは、クラウドファンディングを原資金に、有料販売で継続的発行を可能にしようとしていますので、残念ながら基本的にお金を払ってくれた方にしかアクセスが確保されないことです。学術雑誌としては大きな問題だと思います。 また、それと関わることですが、資金確保のために経費を回収しないといけないので、紙媒体はある程度売れる範囲で発行部数を決めて刷らなければいけないことも、解決は難しいかもしれませんが、問題点としてはあります。 今後の展望 『メディウム』はあくまで一つの実践例ですが、ここから、大きく分けて二つ言えることがあります。どの学術雑誌でも自らの機能や長所短所——短所がない学術雑誌はないと思うんですけれども——を考慮して、投稿体制や査読制度を継続的に見直していくことが重要だと思います。査読体制や投稿規定が長期間固定されたままになっている学術雑誌も多いと思いますが、果たしてそれで大丈夫なのかと、私や梅田さん、創刊時に意見を伺った若手の研究者など、そう思ってる人は少なくありません。 もう一つは、自身の経験に則してなんですけれども、研究者は当然ながら論文の投稿者にもなれば査読者にもなりますが、それに加えて編集者になることも必要だろうと思います。編集者としての仕事自体も重要ですし、編集に携わることによって得られる経験を学術雑誌の体制を検討していくときに活かすことも重要だと考えています。 そのためには、編集者としての仕事が評価される必要もあります。論文よりさらに評価が難しく曖昧になりやすい面はあるとは思うんですけども、編集者としての仕事は雑務として片づけられるようなものではなく、学術的な成果の一部であることをアピールしていく必要があるのではないかと考えています。 発表は以上になります。梅田さんと合わせてお時間をいただき、ありがとうございました。

フルオープンアクセスかつペーパーレスな学会誌・論文誌の発展に向けて ——芸術科学会での事例——

セミナー「挑戦する学術誌」2021/10/29 研究・イノベーション学会 第36回年次学術大会 企画セッション https://kiyo.cseas.kyoto-u.ac.jp/2022/02/seminar2021-10-29/ 講演2 伊藤貴之(お茶の水女子大学 理学部情報科学科 教授) よろしくお願いいたします。お茶の水女子大学の伊藤貴之と申します。芸術科学会が発行している独立した二つの雑誌、それぞれのISSNを持つ学会誌と論文誌についてご紹介したいと思います。 まず私の経歴ですが、早稲田大学の修士課程を出て、日本IBMの研究員になり、その間に博士号を取得しました。そして、2005年にお茶の水女子大学に赴任して、昨年から理学部情報科学科と兼任で文理融合AI・データサイエンスセンターのセンター長を務めております。専門は計算機科学で、情報可視化、インタラクション、CG(コンピューターグラフィックス)、音楽情報処理、データサイエンス、機械学習支援などに従事しています。 芸術科学会 今日紹介する芸術科学会は、名前は大きいですけども対象はそれほど大きくなくて、主にデジタル作品とそのための技術を扱う学会です。もともとは、CGの作品と技術を扱うNICOGRAPHという会議の母体の学会としてスタートしました。学会名から想像されるとおり、投稿者層の多くは融合領域の方です。たとえば、理工系の学部だけども4年生は卒業論文ではなく卒業制作、作品を作って卒業する人の多い大学であったり、あるいは芸術学部だけどもデジタル作品の制作が主流でプログラミングや電子工作をしている学生が多い大学。そういった理工学部と芸術学部の融合領域を中心に扱っている学会です。2001年に創立して、2013年に法人化しました。学会誌と論文誌を別々にオンラインで出版しているのに加え、年2回の研究集会を開催しています。 私とこの学会の関係ですが、まず、2001年に創立したあとに複数の先輩から同時に声がかかり、初代の論文誌の委員長となりました。また、学会誌の編集にも携わりました。2013年の学会の法人化のときには、私は事務局代表を務めておりまして、司法書士の方と一緒に法人化のプロセスをリードしました。2014年からは2年間、会長を務めておりました。 フルオープンの論文誌 論文誌は2002年の創刊当初から、フルオープン、HTML形式で出版していました。いまでこそオンラインで論文誌を出すのは当たり前になっていますが、20年前には創刊号からオンラインでスタートする学会はかなり珍しかったのではないかと思います。当初から論文はPDFファイルで出していて、動画などの付録を推奨しています。ウェブページをご覧いただくと、カバーシートとPDF論文と動画があるという形式です。20年前からこの形式です。クリックするとこんなふうに動画が出てきて、たとえば研究のサマリーが動画で見られます。論文誌を読むときに、動画を先に見てから論文読むと理解するのが早くていいというような人が使います。学会によっては、動画を付録している論文と付録していない論文で採録率に有意に差があるぐらい、動画をつけるのが重要な意味をなす分野です。 フルオープンで、アクセス制御も一切なく、無料で誰でも閲覧できる状態になっています。紙冊子の出版は一切していませんが、まれに学会が発行した別刷りがないと博士号の授与を認めないという大学があるものですから、別刷りを有料発行するサービスもあります。かつては一年分の論文をCDに焼いて、国会図書館に送付したり、希望者に有償販売したりしていましたが、最近の国会図書館はオンライン学会誌や論文誌の自動収集システムを導入していますのでCDを送る必要がなくなりました。それから、著作権を著者が保持する、つまり学会への著作権譲渡は一切しないというポリシーもこの学会の特徴です。 フルオープンの学会誌 論文誌とは別に学会誌というものも発行しています。学会誌を見ていただくと、50ページぐらいのPDFです。書籍さながらのDTPを経て、電子書籍のようなPDFファイルを公開するかたちを取っています。こちらは2008年、13年前からフルオープンでPDF形式で出しています。これもいまでこそ珍しくありませんが、13年前はずいぶん珍しかったのではないかと思います。研究集会の開催報告ですとか、論文の紹介、特集記事、それから会員が投稿した作品を紹介するなどしています。これもアクセス制御一切なしで、無料で誰でも閲覧できます。紙冊子の出版はなし。著作権は著者が保持して、学会は著作権の譲渡を受けないというスタイルを取っています。 当該研究分野の特殊な現象——オンライン化を加速する要因—— この研究分野の特殊な事情がいくつかあります。まず、主役は動画や音声です。まずビデオで研究概要を見て、そのあとに論文を読む。そういう勉強方法がかなり一般的になっているので、動画、音声が付いている論文のほうが明らかによく読まれます。それから、この研究分野はカンファレンス重視です。ジャーナル重視の分野が多いなか、情報科学やデジタル制作といった分野は例外で、カンファレンスのほうが重視される傾向があります。口頭発表や展示が本番で、学術誌の出版はまるで後処理であるかのような風潮が強い分野です。それから、研究の進化がきわめて高速なので、査読プロセスや紙で出版するための時間を待っていられません。これらの事情が、論文のオンライン化を加速してきました。 なぜペーパーレス、なぜフルオープン オンライン化は非常にメリットが大きいです。デジタル作品の学会なので紙より画面で見てほしい、自分で操作してほしいという要求を満たせるのに加えて、フルオンラインにしてペーパーレスにすると経費が劇的に削減されます。冊子保管の場所、郵送料、事務局員の通勤、全部不要です。この学会は事務局員もほぼ自宅勤務で運営しています。 それから、フルオープンにして読者が増えることが何よりも著者のメリットになるので、アクセス制限なんかかけないほうがいいだろうと。事務経費が安いので、購読料で収入を得ようなんて考える必要はありません。デジタル作品の発表では著作権を著者に残したい事情もあります。論文を書いてから展示会に出展するといったときに、著作権を学会に譲渡していると、ビデオ撮り直さなきゃいけないといった面倒、不便がでてきます。 当該分野に国内学会誌って必要なの? この分野に国内の学術誌は要るだろうかと疑問視する方はよくいらっしゃいます。それもそのはずで、メンバーには国内学会より国際学会を主戦場にする人や、海外の人にも読まれる場所に論文を投稿したい人が多いです。私も海外の共同研究者が多くて国際共著論文も多いですし、研究室の学生もコロナ禍前はみんな短期留学していたので海外共著論文が多くありました。また、原田先生の話にもありましたが、研究者評価や組織評価では国際論文が重視されやすい傾向にあります。この学会も予稿集の一つをIEEEという海外の学会から出版しています。この分野の人たちは、日本の学会には学術誌以上に集会を求める傾向があります。世界的にカンファレンス重視の分野であることと、やはりデジタル作品なので展示してなんぼ、触れてなんぼという発想があるからです。 国内学術誌=裾野を広げる役割 これだけの事情がありながら国内で出版する学術誌は何を目的にすればいいのか、つねに議論になるところです。ここからは、学会の総意ではなく、僕の個人的な見解をいくつか述べます。国内学術誌に何を求めるかですが、一つは読者層の裾野を広げることです。高校生や学部生や専門職に就かない人、そういう研究者じゃない人が読んでくれるような分野であってほしいということです。とくにデジタル作品は日常的に目にするようなものが多いので、高校生や学部生でも興味を持つ分野です。日本語で、ペーパーレスで、フルオープンだから読者層の裾野を広げられるのは、メリットが非常に大きいということになります。 それから、投稿者層の裾野を広げることです。この分野の特徴として、ほとんどの学生が学部卒で就職するにもかかわらず、大学教員は論文を書かないと出世できないといった事情を抱えている大学がたくさんあります。学部卒で就職する学生でも投稿できるようなフレンドリーな学術誌が必要です。これは、日本特有の事情だと思います。ほかの国で学部卒論や学部卒業制作が必修科目になっている人が大半を占める大学なんてまれで、日本特有の事情だと考えています。それから、この分野は非研究職の企業人も結構、論文を書く分野なので、そういう意味で裾野を広げるのは重要な考え方だと思っています。それから、伝統的な学術誌に投稿しにくい研究成果を受けつけるということもあると思います。 これらのことを考えると、トップレベルを目指すというよりは、学術研究の講読や投稿によってキャリアアップする経験を多様な人に広げ、業界の裾野を広げるために国内での出版を重視するのが我々の考え方だと思っています。僕の私見ですけども、おそらく同業の多くの人はそう考えているだろうと思います。業界事情に合わせて、どんどん学会誌をバージョンアップしていければいいのではと考えています。 国内学会誌に関する願望 最後に僕の妄想ですけども、伝統的な国際誌にできることは国際誌に任せて、日本ならではのことを国内学術誌でやっていこうと。日本語であり続ける必然性のある分野はもちろん日本語でどんどん出版していくべきだと思いますし、我々のように学部卒で就職する人が大半を占める大学でも論文を出さなければならないという特有な事情と整合していく学術誌が必要な人がたくさんいますので、そういうニーズに寄り添った出版をしていきたいと。先ほど申し上げたとおり、学問に携わる人の裾野も広げたい。 伝統的な雑誌にはできないような斬新な取り組み、実験的な取り組み、振り切った取り組みができないかと考えています。まったくの個人的な妄想ですけども、学会誌の一部をYouTubeチャンネルにして学会誌そのものを動画にしてしまうとか、VR空間で見せるとか。芸術系の方は文章を書くより、デザインすることのほうが好きという人も多いので、論文の書式をパワーポイントやIllustratorで作るとか。あるいは、北田先生が話されたプレレジpre-registrationとも共通しますけども、プレプリントを学会公認で出版してから査読をして、査読を通ったら昇格するというふうに、時代の流れに合わせて、査読なしの段階からどんどん出版するっていう考え方を導入するとか。こんなワイルドアイデアをどんどん打ち出して、身軽な学会運営ができたら面白いのではないかなと個人的には考えております。 天野—伊藤さん、どうもありがとうございました。私から一つだけ事実確認です。J-STAGEには登録されていますか? 伊藤—J-STAGEには登録しましたが、途中で挫折しました。何号かまでJ-STAGEに載っていますけど、そのあと更新が止まっています。 原田—編集業務は誰が担当されていますか? 伊藤—教員は基本的に査読だけをやっています。採録決定後の出版作業は、基本的に事務員がやっています。

追試研究に特化した専門雑誌『会計科学』

セミナー「挑戦する学術誌」2021/10/29 研究・イノベーション学会 第36回年次学術大会 企画セッション https://kiyo.cseas.kyoto-u.ac.jp/2022/02/seminar2021-10-29/ 講演1 北田智久(近畿大学 講師/『会計科学』副編集委員長) 今回の発表の機会をいただき、企画者、運営者の皆様方にはお礼申し上げます。また、参加者の方にはお集まりいただき、ありがとうございます。 それでは、簡単に自己紹介をさせていただきます。私は、近畿大学の経営学部に所属しています。専門は経営学のなかでも、とくに会計が専門です。そのなかでも、細かくいうと、原価計算や管理会計について研究しています。今回紹介する『会計科学』では、2020年度の創刊時より、副編集委員長を担当しています。また、ほかの一般的な学会誌に関しては、2018年度から2020年度まで日本原価計算研究学会の学会誌の編集委員をしていました。 それでは、本日の報告の流れですが、まず、『会計科学』に関して説明します。つぎに、『会計科学』の創刊の背景と密接に関連しますが、会計学者が再現性の問題をどのように認識しているのかを紹介します。最後に、『会計科学』の意義や、今後、どういうことをやろうと考えているのかを説明させていただきます。 『会計科学』——追試に特化した会計研究の学術誌—— 『会計科学』は、追試に特化した、国内初の会計研究の雑誌です。運営の主体は若手研究者です。創刊に至る背景には、研究結果の再現性の問題があります。過去の研究がうまく再現できないという再現性の問題から追試研究が重要と考えているのですが、この追試研究がなかなか既存の会計学のジャーナルでは受け入れてもらえないので、それならば、われわれで立ち上げようと、この『会計科学』を創刊しました。 ご存じの先生方も多くいらっしゃると思いますが、分野によっては、すでに再現性の問題が広く議論されています。たとえば、『Nature』によるサーベイでは、70%以上の研究者が他者の研究の再現に失敗したと回答しています。また、社会科学では、実験経済学や行動経済学、心理学でも、再現性の問題が広く議論されていると認識しています。再現性の問題はもちろん会計研究にも当てはまります。 会計科学における再現性の問題 会計科学における再現性の問題に真正面から取り組んだ研究が、Hail et al.(2020)「Reproducibility in Accounting Research: Views of the Research Community」で、これは『Journal of Accounting Research』という、会計分野の非常に優れたジャーナル、トップジャーナルに掲載された論文です。この論文では、サーベイを行って、会計学者が再現性をどのように認識しているのかを明らかにしています。 サーベイは、2019年の『Journal of Accounting Research』のカンファレンスでその参加者に対して実施しています。対象は基本的に会計研究者で、回答者の約45%が教授、約19%が准教授、約28%が講師、約8%が大学院生となっています。回答率は非常に高く、81%です。Baker(2016)で報告された『Nature』におけるサーベイに依拠して、会計学者に対して、再現性をどういうふうに捉えているか訊いています。 結果の抜粋を紹介させていただくと、まず、「会計研究の研究結果における再現性の欠如は大きな問題ですか?」と問うていますが、半数強の回答者が、会計研究における再現性の欠如は大きな問題であると認識しています。 続いて、「結果を再現できないことが元の研究結果の妥当性を毀損することはめったにないと思う」という提示文への同意を問う質問に対して、半数以上の回答者が反対、つまり再現性の低さは研究の発見事項の妥当性を毀損すると考えています。会計研究のコミュニティのなかでも、再現性は非常に大きな問題で、再現性の低さ自体が研究の質を損ねると認識されていることが読み取れるかと思います。 「パブリッシュされた結果のうちのどの程度が再現できると思いますか?」とも訊いていて、回答の平均値は50%弱です。 「他人の研究を再現しようとして失敗したことがありますか?」という質問に対しては、およそ70%の人が他人の研究を再現しようとして失敗しているという結果が得られています。個人的にも、論文を読んで再現しようと思っても、分析の手順だとか、実験の手順だとか、そういったプロトコルが不明で、なかなか再現できないこともままあります。 次の質問では、「自分が過去に出した研究結果を再現しようとして失敗したことはありますか?」と訊いていますが、6%もの人が自分の結果でさえ再現に失敗しています。 なぜ再現不可能な結果が生まれてくるのかを訊くと、半数以上の人が主要な要因として、selective reporting of results、すなわち分析結果の選択的な報告や、pressure to publish for career、すなわち業績へのプレッシャーを挙げています。3分の1以上の人が理由として挙げているのは、共著者によるチェックが不十分である、統計解析や実験デザインがよくない、プロトコルやコードが公開されていないなどです。 「他人の研究を再現しようとして失敗した試みをパブリッシュしたことがありますか?」に、はいと答えているのはわずか7%、実際には9名です。多くの人はパブリッシュしようせず、ないしはパブリッシュできずに、結果がお蔵入りになっています。 このような結果の背後には、有意な結果を導こうとするp-Hackingや、データ分析をしてから、それに基づいて仮説を立てて論文全体のストーリーを仕上げていくHARKingなど、QRP(questionable research practice:疑わしい研究実践)が会計コミュニティの間でも少なからず広がっているのではないかと推察されます。 再現性を高めるためには? では、再現性を高めるためにはどうしたらいいのか。もちろん、研究者の倫理観を養成する必要もあるかと思いますが、分析コードやデータの公開、オンラインで追加資料を活用することなどが、一般的に有効だといわれています。それによって、他者が追試をしやすくなります。ただ、データ自体が公開できないことも会計学ではあります。なぜかというと、企業内部のデータを使っていたり、データベースとの契約上の問題があったりするからです。 既存のジャーナルが追試研究を受け入れるのも、一つの方法だと思います。ただ、編集委員会や査読者の負担が増えてしまいますし、そもそも研究としてのインパクトが追試研究は弱くてオリジナルを超えられませんし、ほかの研究との兼ね合いもあるので、そのあたりが課題になってくるのかなと思います。 その他の仕組みとしては、プレレジ(pre-registration)やレジレポ(registered reports)が挙がってきます。とくに医学などで行われていると認識しておりますが、会計学ではあまり行われてない仕組みです。プレレジは、実証研究を実施する前に、データの取得の仕方、サンプルサイズ、仮説、分析方法などの詳細を第三者機関に登録して、原則的にこの登録内容に従って研究を遂行する仕組みです。データを集めてからすることが決まっているので、p-HackingやHARKingといった問題が抑制されると考えられています。 レジレポは、プレレジの段階で査読を行って、それでよければ、仮アクセプトとなり、結果を問わず掲載される仕組みです。会計の雑誌でもレジレポを採用した号があります。先ほど紹介した研究が載っていた『Journal of Accounting Research』の2018年の号に、レジレポが採用されています。ただ、他分野の動向を見てみると、査読者の負担が大きいなど、なかなか一筋縄ではいかないようです。 再現性に関して会計学が抱える課題 少し話が変わりますが、再現性に関して、会計学が抱えている課題があります。会計はあくまで社会のシステムなので、国や地域によってルールが異なります。企業利益と一口に言っても中身が違うかもしれません。会計学のトップジャーナルは主に欧米の学術誌なので、そこで扱われているデータの多くは米国やヨーロッパの企業のものです。日本の社会システムとは大きく異なるので、再現するときに、どこまで変化を許容するのかが大きな課題になります。 『会計科学』の意義 『会計科学』の大きな意義として、追試に特化することで、再現性の問題にわずかながらでも貢献できているのではないかと思います。具体的には、『会計科学』ではデータやコード、オンライン資料の公開を積極的に行って、他者が追試しやすい環境を整えています。 迅速な査読体制のために、投稿された研究論文の独創性や新規性を重視するのではなく、基本的には、追試の手続きの妥当性を重視しています。これによって、査読者の負担も少しでも軽減されればと思っています。 また、『会計科学』は紙媒体での配布はしておりません。オンラインですべて完結しています。 追試による学習効果もあります。たしかに追試研究はインパクトは弱いかもしれませんが、大学院生や若手研究者にとっては追試は非常に勉強になることが多いと思います。具体的には、データの取り方や扱い方、コードの書き方、論文の書き方に至るまで、学ぶことが非常に多いと思います。 『会計科学』の展望 最後に『会計科学』の展望ですが、一つには追試に特化したカンファレンスを実施できないかなと考えています。これを実施することによって、どの研究が再現可能で、どの研究が再現不可能かということを広く共有できるのではないのかと考えています。それだけではなく、そこでデータや分析ソフトの扱い方などを広く共有できれば、会計コミュニティに貢献できるだろうと考えています。 また、認知度の向上のために、積極的なオンラインでの情報発信、対面が可能になれば、学会や研究会の懇親会などでも積極的にアピールできればと考えております。 私からの報告は以上となります。ご清聴いただき、ありがとうございました。 天野(司会)—北田さん、ありがとうございました。質問が一つ届いています。「再現性のない結果が載るようなジャーナルにどのようなものがあるかというデータをお持ちでしょうか? ハゲタカジャーナルにはやはり再現性のない、質の低い論文が集まっているというエビデンスはありますでしょうか?」ということです。 北田—そういったデータは持ち合わせていません。ただ、たとえば、会計学でトップジャーナルと呼ばれるものに載っている論文でも、日本のデータで分析したときに結果が再現できないこともあります。その原因は、データに問題があるのかもしれないですし、再現の仕方に問題があるのかもしれないですし、いろいろかと思います。

研究者、研究機関の評価対象としての論文

セミナー「挑戦する学術誌」2021/10/29 研究・イノベーション学会 第36回年次学術大会 企画セッション https://kiyo.cseas.kyoto-u.ac.jp/2022/02/seminar2021-10-29/ 背景説明 原田隆(東京工業大学 主任リサーチ・アドミニストレーター) よろしくお願いいたします。東京工業大学の原田でございます。この企画セッションは、昨年度に紀要に関するセッションをした、その続きでございます。 そもそもの問題意識は、いわゆる「ジャーナル駆動型リサーチ」 、つまり著名な国際ジャーナルに載せることを目指して掲載されやすい研究テーマ、手法による研究が行われる中、国内学会誌はどうあるべきかということでした。さらに、昨年度のセッション運営関係者や学会幹事の方々と議論するうちに、学術コミュニケーションの多様性、インパクトの多元性を考えていきたい、そして今回紹介する三つの事例のように、健全な学術発展のために独自の取り組みに手弁当で挑戦する研究者がいることをぜひ皆様に知っていただきたいという話になり、このセッションを企画しました。 論文——研究評価の対象としての重要性—— そもそもなぜ、論文が評価の対象になっているのか。本学の大隅良典栄誉教授が「論文発表は科学者にとってもっとも重要で困難な仕事である」 と言っているように、研究成果を論文にまとめて公表することは研究者の社会的使命であることは研究者ならばみんな共通して持っている認識だと思います。これまでも、いまも、これからも、いい論文を書く研究者は優れた研究者であるということ、優れた研究者がいる研究所や大学は優れた研究機関であるということは、研究者コミュニティもしくは社会的な合意が取れているといっていいでしょう。それがすべてでないにしろ、論文によって研究力を評価する、研究者や研究機関を評価するというのは、わりと自然なことだと私は考えております。 論文による評価の現状——順位付けの指標にされる論文—— ただ、非常に大きな最近の問題として、論文を軸とした評価が純粋に研究業績を評価するものじゃなくなってきたんじゃないかと危機感を持って現状を認識しています。背景の一つは、学術分野でのグローバル競争の激化です。インターネットの普及もあり、つねに各大学、各研究者がグローバルに各分野でしのぎを削っています。もう一つは、学術研究と社会との関係の変容です。たとえば「科学技術基本計画」が「科学技術・イノベーション基本計画」に変わったように、単純に学術的な知のフロンティアを広げるだけではなく、産業競争力に貢献する、SDGsに近づくような社会的なインパクトを与えるなど、大学および研究者に求められる役割が変容、多層化しています。 一方で、限られたリソースをどの程度、どの研究機関、研究者に投入していくかを(国、ファンディング・エージェンシー、または大学経営陣)が決定する際、どうしても比較して順位をつけなきゃならない。いくつが指標が存在はしている、考えることはできます、その中で論文には長い歴史があり、研究力を評価する指標としての安定性がある。そして、インパクトファクター、発表数、引用数など量何らかのかたちで数値化できるという測定可能性も満たしている。研究者の能力評価としての論文の重要性について社会的な合意も取れている。さらに、どんな分野であっても、少なくともジャーナルがあり、ジャーナルがランク付けされているという共通性がある。データベース等で論文の所在が確認でき、どういう根拠でこういう順番になったか、スコアになったかも検証可能です。現時点で共通の指標としての条件を満たしているのは、いまのところ論文しかない。 大学の実績評価の指標——Web of Science収録論文—— 学術分野の競争が激化し、求められる役割も大きくなっている現状は「研究力を高く評価してもらうためには評価される論文をたくさん発表しなくてはならない」というプレッシャーを大学や研究者に与えており、それは年々大きくなっています。ここでは大学の実績評価として二つ事例を挙げます。 一つ目は国立大学の運営費交付金の配分です。ご存じのとおり、国立大学は世界水準型、特定分野型、地域貢献型の三つに分類されて、それぞれの大学が目標を設定して、それらに対する達成度で評価されて、運営費交付金の配分が増えたり減ったりします。たとえば、東京工業大学は世界水準型に分類され、三つの分野で目標を設定しています。その一つとして、世界の研究ハブを実現するとしており、指標が三つあります。そのうち二つが論文に関するものです。まず、常勤教員一人当たりの1年間の論文数の平均。それからTop10%論文の割合、これは全部の論文のなかで、Top10%論文 がどれだけの割合を占めるかです。そして重要なのは、この評価にはInCites(インサイツ)を使う、すなわちWeb of Scienceに掲載されている論文を前提にしているということです。つまり、東工大のなかで業績とは、Web of Scienceに載っている論文ということになります。もう一つ違う分類、特定分野型、東京海洋大学の例です。戦略目標を三つ挙げているなかに、海洋科学技術研究の中核的拠点を目指すというのがあります。その指標が四つあるうちの一つとして、Web of Scienceに収められている論文に占める国際共著論文の比率を挙げています。そういう意味で、東京海洋大学でも機関としての評価指標として、Web of Scienceの論文が非常に重要になっています。 各大学の業績評価項目は教員の業績評価、採用にも影響します。国立大学でポストを得て、パーマネントを取ろうとすると、もしくは転職に有利になるようにしようとすると、機関の業績、自分の業績につながる特定の国際ジャーナルに論文を投稿するという行動を取らざるを得ない現状があります。それ国際的にインパクトを与えるかたちで研究成果を発表することを目指すことは研究者として当然ですがアプローチが似てしまう、研究テーマがホットイシューに絞られていくなどの問題点が指摘されています。 大学の実績評価の例の二つ目は、研究力強化促進事業です。これはURAが雇用されている財源の一つですが、評価項目が全部で九つあり、そのうち「国際的な研究創出の状況」を見ますと、Top10%論文を増やす、国際共著論文を増やすという二つの指標があります。それがURAの実績になるため、URAもトップジャーナルに掲載されるような研究を重点的に支援する傾向があります。Web of Scienceは全分野の情報を収録しているわけではない中で、それをベースに支援する教員を選択することもあるかもしれません。 問題提起——よい論文とは? 論文指標で見えるところだけでいいのか?—— 今回のセッションの根底にある問題意識は「よい論文ってどんな論文?」です。皆さんに共通する認識じゃないでしょうか。たくさん読まれている論文がいい論文か、たくさん引用されている論文がいい論文か、つねに考えていると思います。 それから、論文指標で「見えるところだけで評価することは学術研究の推進を阻害していないか?」です。いろいろな問題がありながら、計量化できる、伝統がある、指標が確立されている論文による評価が中心のままでいいのでしょうか。 独自の活動をされている学術誌の紹介を通じて、ぜひ皆さんと研究の評価、日本の学術誌のあり方などについて議論していきたいと思っています。