テーマ討論および質疑応答

セミナー「挑戦する学術誌」2021/10/29
研究・イノベーション学会 第36回年次学術大会 企画セッション
https://kiyo.cseas.kyoto-u.ac.jp/2022/02/seminar2021-10-29/

北田智久(近畿大学 経営学部 会計学科 講師)
伊藤貴之(お茶の水女子大学 理学部 情報科学科 教授)
梅⽥拓也(同志社⼥⼦⼤学 学芸学部 メディア創造学科 助教)
今関裕太(江⼾川⼤学 基礎・教養教育センター 助教)
宮野公樹(京都大学 学際融合教育研究推進センター 准教授)
林和弘(文部科学省科学技術・学術政策研究所 データ解析政策研究室 室長)
原田隆(東京工業大学 主任リサーチ・アドミニストレーター)
天野絵里子(京都大学 リサーチ・アドミニストレーター)

天野—ディスカッションと質疑応答に移りたいと思います。今回、それぞれの雑誌について詳しくご説明いただいたので、登壇者間でお互いに訊いてみたいことやコメントがあるかと思いますが、いかがでしょうか。

クラウドファンディングのリターン
北田—『メディウム』の梅田先生と今関先生に質問です。クラウドファンディングのリターンにはどういったものを設定されていたのでしょうか?

梅田—リターンとして設定していたのは、まずは完成した雑誌『メディウム』です。クラウドファンディングのプロジェクトページを画面共有させていただきます。これがプロジェクトのページで、金額はアカデミスト社さんのアドバイスで、1000円、3000円、5000円、1万円、2万円、5万円という区切りにしました。1000円のリワードは創刊の過程を細かく書いた活動報告レポート、3000円はこれと第1号の創刊号に謝辞を載せるというもの、5000円はそれに加えて完成した第1号1冊とファングッズ的なステッカー、1万円はさらに創刊号完成記念研究会に優先で招待させていただくというものでした。2万円はこれに第5号まで加える、5万円は企業様などのサポーターを想定しながら広告掲載を載せますとしました。ただ、5万円は0人だったんですけれども。でも、19人のサポーターの方から2万円の支援をいただきました。いまお見せしたプロジェクトページは、「メディウム クラウドファンディング」とGoogleで検索するとヒットするので、さらに詳細がお知りになりたい場合は、ぜひ検索していただければと思います。

北田—ちなみに、サポーターはお知り合いの方ですか?それとも全然知らない方がサポートしてくれますか?

今関—もちろん知り合いも多く支援してくださったんですが、まったく知らない方、プログラマーの方とか、エンジニアの方とか、アカデミアとあまり関わりのないような方もたまたまTwitterなどで見つけて支援してくださって、そのあと研究会にも来てくださったという方もいらっしゃって、そこは私たちも嬉しいとともに驚いたことでもありました。

『メディウム』の購買者層
天野—設楽さんから質問です。「それぞれの雑誌にターゲットがあると思います。『メディウム』のターゲットはまずは人文系の研究者だと思うんですが、オンラインで販売されているので実際に人文系の研究者が多かったなど購読者層がわかりますか?」

梅田—買っている人の属性を把捉しきれていません。ただ、支援してくださった方は身分を明かしてくださった方が多くて、具体的な数値は出していないんですが、大学に所属されている芸術系の方や思想系の方や語学系の方も買われている印象でした。ターゲットにちゃんと刺さっているのではないかと思います。研究会などのときも、アカデミアの外の実践者といった方も来られるんですが、加えて若手の研究者の方も来てくださるので、そういう層にリーチしていると認識しています。今関さん、補足等ありますか。

今関—オンラインでの販売はお名前など書いていただかないので把握しきれていないんですが、クラウドファンディングや研究会の参加者ですと、職業として目立つのは人文系の大学教員、研究者以外ですとプログラマーと書かれている方が多かった印象です。

天野—想定外ですよね?

梅田—意外と狙っていました。第1号で特集したのはフリードリヒ・キットラーという思想家で、僕の直接の専門の研究者なんですけど、哲学やドイツ文学が専門でありながら、プログラミングに非常に長けた人で、思想とある種の実践をうまく組み合わせることを図っていた人だったので、人文知と電算機科学の知を重ねることに関心を持っている方がかなり来られました。そういうネットワークを増やしたいなと思っていたところ、狙いどおり刺さってくれる方がいらして、すごくよかったですね。

天野—狙いどおりだとわかるというのは、雑誌の発行以外に研究会もされたからなのかなと思いました。

雑誌創刊のきっかけ
天野—私から皆さんに質問です。それぞれに雑誌を出した理由をご説明いただきましたが、そのユニークな取り組みを誰か「よし、やろう」と言い始めたきっかけはどういう感じだったのでしょうか? このセッションを聞かれている方の中で、アイデアを持っているんだけど、実現させるのは大変だなと思われている方がいらしたら、そういう話を聞くとハードルが低くなるんじゃないかなと思うんです。

北田—お世話になっている先輩と飲みにいった席で、先輩がこういうことをやりたい、自分が編集委員長をするから、副編集委員長を頼むっていうので始まりました。もともと既存研究の追試自体に価値があり、非常に重要だと我々は共通の問題意識として認識していましたが、きっかけはその飲み会の場です。

伊藤—我々は会員百人、二百人ぐらいの小さい学会からスタートしたものですから、経費を抑えるために、最初から紙で発行しないという意識はありました。もともと紙よりも画面と相性がいい分野という事情もありました。それから、僕が初代編集委員長になったときに感じたのは、この分野は筆頭著者が学生である割合が際立って高いということです。学生は卒業するまでの時間が限られているので、早く出版できる雑誌が欲しいというのを非常に強く感じました。早く出版できるのもデジタル化のメリットの一つだと思っています。

梅田—東京大学の大学院にいたときに、僕は文学とか哲学をやっているメディア研究者を読むっていうことをやっていて、今関さんは文学研究の立場でメディア論を読むっていうのをやっておられて、かなり近接した領域だったので読書会を一緒にやっていました。そのなかで、投稿先ないよねっていう話になり、じゃあ作ればいいんじゃないっていう流れで作ることになりました。大雑把に言うとそういう感じですかね。加えて何かあれば、今関さん。

今関—一言つけ加えると、いざ作ってみて、投稿先ができたと思いきや、自分たちで運営している雑誌に自分の論文を査読つきとして載せられないじゃないかと。カテゴリーを査読ありの論文、審査ありの試論、レビュー、翻訳って分けて、自分たちで翻訳や試論を載せてはいるんですが、自分たちの査読論文を載せることはできないので、引き継いでくれる方に早く引き継いで、投稿者の側にまわりたいっていう気持ちがすごくあります(笑)。

商業誌の新しい試み
天野—今このセッションを聞かれている皆さまの中で、自分たちはこういう面白い試みで新しい雑誌を出しているよとお話しいただける方がいらっしゃいましたら、ぜひ手を挙げてお願いしたいと思うんですけれども、どなたかいらっしゃいますでしょうか。

原田—会計学や法学などは「制度」を研究対象としていることもあり個別の法律や基準の内容や改定された背景の解説が掲載される商業誌が研究者にたくさん読まれ引用されています。会計学で権威のある『企業会計』という中央経済社が出している商業誌がありますが、数年前から査読付き論文を募集しています。カンファレンスも開催するなど商業誌も変容してきているなという印象を持っています(注1)。

注1 「『企業会計』査読付き論文コーナー創設にあたって」中央経済社 企業会計の査読付き論文コーナー、https://www.chuokeizai.co.jp/acc-pr (accessed 2022-02-20)。

『といとうとい』
天野—実は後ろに貼ってあるポスターは、『といとうとい』という京都大学の宮野先生が中心になって最近出された学際研究の雑誌のものなんです。宮野さん、よろしければご紹介いただけたら。

宮野—ありがたいな、『といとうとい』のポスターを貼っていただいて。ありがとうございます。先ほどの「投稿する先がないな、じゃあ作ろうか」っていうのと同じ発想です。僕も学際とか分野融合のあたりで仕事をしていまして、学際って学問本来の性質だと思うんですよね。そもそも僕ら研究者の問いは、◯◯学とか◯◯分野に収まるものじゃないわけですよね。問いに正直になることが学問なんです。だから、問いをそのままぶつけられる論文誌——論考誌って言ってますけど——は、学問そのものの論考誌になるわけです。今までそういうのがなかったんで、僕らこういうのを作りたいんだよってことをお示ししたいなと思って、寄稿を依頼して8名の研究者の人たちに書いてもらってVol.0、準備号ができました。いよいよVol.1、創刊号を2022年度に作ろうと思ってます。

手短に特徴を三つだけ。一つ目は、理系ではわりとメジャーになりましたが、査読者とのやり取りをすべて公開するということ。二つ目は、やっぱり学問の雑誌なんで、言葉とか、論理とか、データとか、それそのものも疑うって大事だなと思ってて、その言葉で伝えられない何かを表現するために、アートディレクションというか、写真と一緒に論文を掲載したりしてると。三つ目が、分野を問わず、投稿を受け付けるということです。注意したいのは、「学際研究」の掲載じゃない。分野を問わないってことであって、いわゆる学際研究の専門誌ではないってことですわ。なお、Amazonでも売ってるし、一般書店、大学生協なんかでも売ってるし、頑張ってます。皆さんにご関心を持っていただけたらありがたいと思ってます。

査読
天野—宮野さん、ありがとうございます。査読の話があったんですけれども、各学問分野が抱えている問題、再現性であるとかの問題を解決したいという思いで、論文の裏側にあるプロセスを変えていこうという強い意志がそれぞれの雑誌でおありだと思います。今はこうだけれども、もっとこういうふうにしていきたいんだっていうことなどありますでしょうか?

梅田—いま、『といとうとい』のサイトを拝見させていただいたんですけど、査読プロセスを全部公開する取り組みをされるとのことで、すごくうらやましいなって思って。まだ体制が整っていなくて、制度の検討もちゃんとできていないんですけど、僕も、査読のプロセスを全部公開できるようにしたいなと思っています。というのも、立派な学術誌でも、若手のあいだで送られてきたレビューを見ていると、査読者の無理解による講評としか思えないことやハラスメンタルなことが書いてあったりするので、査読がクオリティチェックの機能を果たしていないという問題意識を持っています。とくに僕みたいに領域横断的な分野にいると、境界的な問題関心は理解されないっていう意識が強くなります。

投稿する側も、読む側も、査読があるから大丈夫っていう結論になってしまっているのがすごく問題だなと思っています。そうじゃなくて、マインドセットごと変えて、査読プロセスがオープンになっているからこそ信用できる、推奨できるんだっていうかたちにしていくべきなんじゃないかと思っていて、すごく面白い取り組みだと思いました。だから、『といとうとい』で、オープンにするにあたって、制度的に何か問題が発生した点、考慮した点があったら、教えてほしいなと思いました。

宮野—「査読って何?」っていう問いを持ったら、おっしゃるとおり公開するしかないですね。理系では査読前の状態、情報をプレプリントサーバーに出して、みんなでもんで、それを査読付きの雑誌に投稿にするのがどんどんメジャー化してますけど、査読したからといって、その論文がいいとも限らないし。『ネイチャー』でも『サイエンス』でも、取り下げの論文がいっぱいあるんでね。

『といとうとい』では、論文を書く前にコンセプトペーパー、短いショートエッセイを書いてもらって、それで掲載するかどうかを編集委員——査読者とは言ってません——がみんなで決めて、そのままそれを100人論文(注1)みたいな場所にぽっと出して、いろんな人にもんでもらおうと思って。投稿したあとも、メッセージをやり取りできるサイトをずっと残しとこうと思ってて。あとは歴史が見てくれるんでね。誰が何を最初に言ったかが大事だと思ってるんで。厳密に言うと、それも意味のないことですけどね。

梅田—投げて終わり、業績稼いで終わりじゃなくて、投稿されたあとも議論が続くのが、そこからちゃんと議論がスタートしていくのがすごく理想的というか、いいなと思います。

注2 京都大学で始まった、先端的な研究テーマや、これから研究になるかもしれない芽を100近く掲示する展示企画。http://www.cpier.kyoto-u.ac.jp/project/kyoto-u-100-papers/

定量評価に対するスタンス
天野—このあたりで最初の問いに戻っておこうと思います。皆さんそれぞれに媒体を作って論文などを発表されていますが、それはジャーナルインパクトファクターなどの定量評価に対するチャレンジなのか、それとも、それはそれとして、こっちはこっちでやってるよということなのか、そのあたりのことを教えていただきたいなと思います。

伊藤—私は完全にそれはそれ、これはこれでいます。とくに情報科学では、学生なら和文の論文も業績として認められる場面があるけれど、プロの研究者はほとんど英文しか業績として見られない傾向が強いんです。一方で、修士で就職して企業の研究所の開発にいくような人が、論文を書く層としてすごく厚い分野なんです。修士で就職する人の中には和文で論文を出す人も多く、一方でプロの研究者として一流になる人は世界に挑戦するというツーウェイになっています。だから、和文も英文も同時に労力をかける人が多数います。

北田—会計では、おそらく経営学でもそうかと思うんですけど、就職するときでも、国内の雑誌が十分に評価されています。逆に、日本の研究者が海外の雑誌になかなか掲載できていないという問題はあります。とくに若手の人は自らの研究を行う上で、過去の研究の追試をやることが多いと思います。そういう人たちが追試をした結果を無駄にせず世の中に出せるということが「会計科学」の一つの意義かと考えています。インパクトファクターなどにあらがおうという意図はなく、とくに若手研究者が追試をした結果を載せられる媒体を意識しています。

日本語で出す意義
天野—皆さん日本語で日本発で出していらっしゃいますが、学術に国境はありませんので、国際的にインパクトを与えていきたいと思っていらっしゃると思います。そのなかで、やっぱり日本語で出す意義を教えていただけたらと思うんですけれども、いかがでしょうか?

今関—まず、ちょっと戻ると、人文学の分野では、そもそもインパクトファクターによる評価がなじまないことがあります。フーコーやマルクスをはじめ、他にも無数に例は思い浮かびますが、被引用数が多すぎる論文や書籍がありますし、間接的な言及や必ずしも明示的でない手法の模倣などもあるので、一概に数字で表せるものではないというのは前提としてあると思います。

日本語で研究を蓄積していく意義もそうした点に関わってくると思います。人文学という学問領域では翻訳という営みがきわめて重要で、現在では英語圏がさまざまな分野で強い影響力を持ち多くの言語に翻訳されていますが、その一方でフランス語圏やドイツ語圏、あるいは日本語圏の論文や研究書でも、他の言語に翻訳され地域をまたいで読まれるものは少なくないですし、翻訳先の言語圏で独自の注釈の蓄積や学問潮流が生まれる場合もあります。こうした営みは古代ギリシャやローマの時代まで遡るものと言えます。このように考えれば、長期的な目で見れば日本語でしか蓄積できない研究があるかもしれないわけですが、やってみないとわからない。それがインパクトファクターで評価できるか疑問に思っている研究者が人文系の分野では多いんじゃないかという前提があります。

『メディウム』の創刊時に考えたのは、人文学に立脚してメディアについての議論を行う場が現在の日本語圏にほとんどないのは問題だということです。それに、悲観的すぎるかもしれませんが、いまぐらいの規模で日本語で学術交流、蓄積を行っていく体制が果たして30年後、50年後、あるいは10年後に可能かっていうと、もう危ないんじゃないかっていう危機感がありました。日本語で思いっきり議論をして、日本語でさまざまな翻訳が読めてっていうのが当たり前じゃなくなってくるかもしれないから、いますぐにやらなきゃいけないっていう意識がありました。

伊藤—我々の分野のデジタル作品ですと、コンピュータグラフィックスのゲームを作るとか、ポップス音楽を作曲するとか、中高生の趣味でさえあり得るような、そういう分野です。よって、そういう世代の人たちに夢を与えるという意味で日本語で論文を書きたいという思いは、少なくとも僕にはあります。

もう一つ、日本語の論文が英語に自動翻訳されても意味を損なわないタイプの分野なので、そのうち自動翻訳の精度が上がって、いい研究をしてれば何語で書いたっていい時代がくるんだと開き直っている人も結構います。

北田—たとえば日本のデータを使った追試研究でも海外の雑誌に載るのであれば、読者も増えるという意味でそれがベストなのかなとは思います。ただ、日本のデータで追試したものが、そういったところに載るかっていうと、恐らく載らないですね。じゃあそれが研究としてまったく価値がないことかっていうと、我々はそうは考えておりません。そういった意味で我々の雑誌は一定の貢献をできているのかなと思います。

天野—設楽さんが詳しいんですけれども、ビブリオダイバーシティ(書誌多様性)は、ヨーロッパでよくいわれているキーワードです。ヨーロッパも英語圏ではないところがほとんどなので、各国の言語での研究の発表が蓄積としてはあるんだけれども、やっぱり英語論文のほうが評価がされる部分もあって、でも、自国語での発表がしっかり評価されるようにしていこうっていう動きがあります。研究支援者としては、この日本の動きを捉えて、しっかりやってますよと発信していかないとと感じています。

F1000Research
天野—「F1000Researchについてどう思いますか?」という質問が参加者からきています。F1000Researchはオープンアクセス投稿プラットフォームですが、林さんに解説をお願いできますか?

—こんなこともあろうかと、スライドを用意しておきました。これがそのベースとなる考え方で、論文を書いたらデータとともにまず公開(出版)して、そのあとオープンピアレビューを記録を全部残しながら1回、2回とやって、どんどん改訂をしていくと。プレプリントのよさと、オープンピアレビューのよさと、バージョンコントロールを全部内包して、プラットフォーム化されたものがF1000Researchです。有名なところでは、ウェルカム・トラストやゲイツ財団が導入しています。これをベースに、一言で言うと、今の商業出版社が(紙の時代から引き続く仕組みで)牛耳るような学術情報流通のゲームチェンジをもっとデジタルネイティブに起こしましょうっていうのがF1000Researchの母体であるオープンリサーチセントラルの考え方です。私はこのイニシアチブに協力している一人として、ご紹介させていただきました。

日本は日本で、皆様方のように面白いと思ってやっている人にどんどんやっていただいて道が切り開かれていけばいいなと思って伺っておりました。

天野—日本だと筑波大学が取り入れているんですよね。もちろん分野によらず、人文系から自然科学系まで投稿できて、オープン査読でやっているプラットフォームです。これは、英語だけじゃなくって、日本語もOKなんですよね。

—はい。いま筑波大学さんが、日本のファーストペンギンとしてがんばられていると理解しています。

天野—「F1000Researchについてどう思いますか?」という参加者からの質問ですが。

原田—すごくユニークだと思います。大手の出版社に牛耳られている学術流通に対する不信とか、査読の問題点へのアンチテーゼみたいなものだと思うんですね。東工大は恵まれたほうなのでトップジャーナルを読める環境にあるんですけど、地方大学になると読むべき論文が高くて学生が論文を読めない状態にあります。良質な論文、押さえておかないといけない論文を学生が読めない状況をどうにかしたいという問題意識は、学術社会で持っておくべきかと思います。このオープンリサーチセントラルは、その一つのきっかけになるのではないかと期待しています。今回登壇していただいた先生方の取り組みもお聞きしてメジャーな価値観の意義は尊重しつつも、それとは異なる価値観も許容でる学術社会であってほしいし、その実現のため私たち学会関係者も努力していきたいと思うようになりました。

—念のため補足させていただくと、F1000Researchはまだそれほど流行っていなくて、どこで流行っているかっていうと、欧米の私的研究助成団体が使っています。ゲイツ財団などは研究費を配るんだったら、全部透明にしなさいと。単純にそういう動機からきているところがあります。

今日ご登壇の皆さんは、動機としては面白いと思って、あるいは分野特有の動機があって、ご自身のメディアを作られていて、商業出版社を倒すといった目的のためにやってるわけじゃないんですよね。もっと早く、あるいは、効率よくみんなに研究成果を知らしめて、その貢献が認めてもらえるようにしたい、それを実現する手段として、こういうのもあるよということの事例が集まった。日本の場合、手弁当になりがちなんだなと思いながら伺ってたんですけど、F1000Researchはときに数千万円以上のお金を使って運営されることもあるんですよね。ということで、研究者の内在的欲求に従って自分が面白いと思うメディアを作ることはもっと大事にされてよくて、ご紹介したF1000Researchもあくまで手段の一つ、ゲームチェンジのツールとしての一つであって、今日の議論の本質は自分は誰に何を届けたいか、であり、さらに日本語も大事にすることなんだろうなと思います。

天野—伊藤さんからも「オープンリサーチセントラルはすばらしいと思います。参考にさせていただきます」ということです。F1000Researchも、大学としてみんなが使えるように契約しようと思ったら安くはない。しっかりしたプラットフォームを作る試みなので、それに乗っかってしまったら楽っていうところは研究者の皆様にもあると思うんですけれども、やっぱり独自のプラットフォームを作ってやることの意義やメリットもあると思います。

改めて今後の展望
天野—時間もなくなってきましたので、まとめていきたいと思います。それぞれのご講演の最後で今後どうしていきたかについて触れていただきましたが、ディスカッションを経て、強く思うことであるとか、これから考えていきたいということがありましたら、順に教えていただきたいと思います。

北田—まだまだ『会計科学』自体が非常に若い雑誌なので、まずは認知度を上げて、どんどん投稿してもらう数を増やしていくことが必要になってくると思います。規模を拡大するうえでは、クラウドファンディングというような資金集めも非常に有効な手段なのかなと個人的には思いました。

伊藤—今日の話の中でとくに刺激を受けたのは、皆さん、査読に対して一定の問題意識を持っていらっしゃるということです。我々も工学系と芸術系のはざまにいると、たとえば、芸術作品は論文として査読できるのかという問題が絡んできて、どう査読すればいいのかずっと悩んでいる問題だったんですけれども、今日、お話を聞かせていただいたことを学会に持ち帰って、いろいろ参考にさせていただければと思っております。どうもありがとうございます。

梅田—まず、北田先生のお話を聞いて、再現だったり、レビューだったり、業績にはならないけど絶対にみんなで共有したほうがいい議論はたぶんどの分野にもあって、我々の分野にもたぶんあると思います。そういったものをちゃんとすくい取れるプラットフォームに『メディウム』はなっていかないといけないなと思いました。

伊藤先生の話を伺って、これからは文字だけじゃなくて、映像だったり、画像だったり、さまざまなメディアを使って、学術論文が書かれていくっていうことも踏まえると、デジタル化も検討していかないといけないし、若手の人たちが安い値段で最新の研究に触れられるようにするためにはオープンアクセス化がすごく大事だと思うので、うまいことウェブを巻き込めないかな、参考にしたいなということがたくさんございました。ほかの方々からいただいた意見もすごく参考になりました。ありがとうございました。

今関—改めまして、ありがとうございました。英語圏を中心とした国際的な場でのアピールというのを皆さん、もはやスタンダードとして常に意識されてるんだなというのを改めて感じました。私たちに関しては、日本語でとりあえずやっていくという姿勢ではあるんですが、それでもオンライン公開できる範囲で、たとえば掲載論文のアブストラクトだけでも、英語やドイツ語やフランス語で公開していくのはありだなと思います。

たとえば私は『メディウム』の第1号に、ドイツのメディア研究者であるフリードリヒ・キットラーと、『ゲゲゲの鬼太郎』の作者である水木しげるの関係についての試論を書いたんですが、これを書いてる人、たぶん世界で一人なんです。検索して、それが出てくるようにするっていうだけで大きな違いなんじゃないかと。

第2号はまだ出ていないくて〔注:2021年12月に発行済〕、目次だけ公開してるんですけども、掲載論文のひとつはライプニッツとダナ・ハラウェイという研究者を取り上げていて、この二人の思想家がタイトルに含まれている論文って、たぶん世界でこれだけじゃないかと思います。アブストラクトだけでも英語やドイツ語でオンライン公開すれば、この論文が検索で引っかかるようになる。こういう研究を日本語圏でやってるんだぞっていうのを、英語圏をはじめとする外国語圏の人々の目にとまりうるようにするだけでもだいぶ違うのかなと思いました。

天野—ありがとうございました。今関さんが研究者は、論文の執筆者でもあるし、査読者でもあるし、編集者でもあるとおっしゃっていたのが私にとっては一番印象的で、編集者である研究者を私も研究支援者として支援することができればと思います。このように面白くて、興味深く、学術的にもインパクトの高いお仕事をされている事例があるんですけれども、残念ながら独自のプラットフォームは最初は検索されにくかったりするデメリットがあります。それを検索されやすくするといったサポートも必要かなと思いました。では、セッションをこれで締めたいと思います。どうもありがとうございました。